大会2日目となる8月6日、高校野球ファンが目を離せないカードが組まれた。春夏連覇を目指す大阪桐蔭と、8年連続出場で2016年夏制覇の作新学院(栃木)が対戦する。投打が充実し、今大会も優勝候補の筆頭に挙げられる大阪桐蔭が優位との声もある。だが、試合巧者の作新学院がどのように立ちはだかるか、ファンは注目する。名門校・作新学院といえば、忘れてはならないのが、江川卓だろう。江川と親交の深いあるスポーツ記者が述懐する。
作新学院といえば、春10回、夏14回の出場を果たし、1962年には春夏連覇、2016年夏にも今井達也を擁し、全国制覇を果たしている。栃木県の名門校というよりは全国屈指の名門校といえるだろう。
しかし、ファンの脳裏に色濃く残るのは、全国制覇には無縁だったあの男ではないだろうか。江川卓だ。
彼にまつわる物語について、筆を進めたいと思う。
土砂降りと言っていい雨が降っていた。1973年夏、銚子商-作新学院戦。延長12回。主催者側はこの回で決着がつかなければ、引き分け再試合を決めていた。
「怪物江川卓」は1死満塁のピンチを迎えていた。スコアは0-0。江川はマウンドに内野手を集めた。彼は言った。「俺の好きな球を思い切り投げていいか」。一塁手の鈴木秀男が答えた。「お前の好きな球を投げろ。お前にここまで連れてきてもらったんだから」。高校球児の普通の会話だと思える。江川のストレートは雨で滑り、大きく外れた。サヨナラ負け。
しかし、この一言は江川にとっては特別のものだった。なぜなら彼は「怪物」だったからだ。あの夏の栃木大会を簡単に振り返る。ノーヒットノーラン3試合、被安打1が2試合。1試合平均15個の三振を奪って突破した。その前の春の選抜大会では60奪三振の大会記録を残している。「怪物」のレッテルを貼られた江川に何が起こったか。マスコミが殺到する。江川はふてぶてしく見えて極めて繊細な性格だ。ナインに迷惑をかけないように、離れようとする。チームメートも江川だけが注目されることに、面白いわけはない。