■幼少期は不遇“愛”求め出家


<岡崎一明(おかざき・かずあき)>

(1)生年月日:1960年10月8日
(2)最終学歴:山口県立小野田工業高校
(3)ホーリーネーム:アングリラーマ
(4)脱走した90年当時の階級(ステージ):大師

 親から高い教育の機会を与えられた高学歴のエリートが多い中で、不遇な幼少期をすごした。

 山口県生まれ。1歳半で養子に出され、名字は岡崎から佐伯に変わった。

 そのことを知ったのは、中学3年の時。養父母から、

「炭坑の風呂で、子どもをあげてもいいという人がいたのでもらった」

 と打ち明けられた。

 養父は短気で、けんかをしては職を転々とした。そのため、中学卒業まで神奈川県や広島県など、何度も転校を余儀なくされた。

 プロテスタントの教会に通ったこともある。「家族のように接してくれるから」だ。愛情に飢えていた。

 高校卒業後は、建設会社や教材販売会社などを渡り歩き、滋賀県内の製薬会社に勤めているときに、雑誌で麻原の存在を知った。

 電話をかけると麻原が出て、誘われるまま1985年に「オウム神仙の会」に入会。87年に出家した。ようやく「居場所」をみつけた思いだったという。教団では、麻原、女性幹部I・Hに次ぐ3番目の「成就者」となった。

 89年2月には、信徒の田口修二さんを殺害、11月には坂本弁護士一家殺害事件に手を染めた。

 それから約3カ月後、総選挙に出馬しているさなかに2億円余りの選挙資金を奪い、妻と一緒に教団から脱走。カネはすぐに取り返されたが、山口県に戻って学習塾を開いた。この時に岡崎姓に戻った(のちにまた別の名字に改姓)。

 その後、坂本夫妻の長男の遺体を埋めた長野県の写真に、地図と見取り図をつけて神奈川県警などに匿名で送った。警察から事情を聴かれたが、オウムの犯行ではないとウソをつくと、「簡単に信じてくれた」という。教団からは、事件の「口止め料」として約850万円が支払われた。

 95年、地下鉄サリン事件後に受けた任意の事情聴取で、坂本弁護士一家殺害への教団の関与と実行役の名前を打ち明け自首した。

「麻原のような怪物がこの世に二度と生まれてこないためにも、すべての真相を積極的に話します」

 公判では力強くそう語る一方、麻原に逆らえなかったと繰り返した。

 地下鉄サリン事件で自首した林郁夫受刑囚が、死刑でなく無期懲役になったように、自首による減刑を求めた。しかし、過去の聴取で関与を否認したため「自首は自己保身にすぎない」とされ、死刑判決が言い渡された。

*物理の秀才が麻原の「浮揚」を信じた瞬間 <教団エリートの「罪と罰」(5)>へつづく

週刊朝日 臨時増刊『オウム全記録』(2012年7月15日号)

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