10代の頃にかけられた“呪い”が、いまも解けずにいる。
「子供時代は本と映画に夢中でした。田舎だったので芝居を観る機会は少なくて、それが大学進学のため上京して(唐十郎さん主宰の)状況劇場と出会って、呪われてしまったの、演劇に(笑)。唐さんのテント劇場には、読書や映画を観るのとは次元のちがう濃密さがたちこめていて。煩わしい日常的な感情なんか根こそぎにしてしまう荒々しい時間がそこにはあったんです」
“最後のアングラ女優”とも称される銀粉蝶(ぎんぷんちょう)さん。今でこそ、舞台のみならず映像作品にも多数出演しているが、若い頃は自分が、“演技をしてお金をもらう”ことなど思ってもみなかったという。
「映像の仕事を本格的に始めたのはそれこそ中年になってから。理由はなんだろう……? いい加減がんばったんだからそろそろ芝居でお金をもらってもいいのかなって(笑)。20代で仲間と劇団を作って、もちろんお金になんかならない。それが当然だし、むしろお金のために芝居をするなんてカッコ悪いくらいに考えてたんですね。だからいまだに、損得勘定や経済効率が演劇に入りこむのには抵抗があるんです。そんなもの度外視した闇雲な共同作業からしか、演劇の馬鹿力は生まれないんじゃないかしら」
呆れる。怒る。憂う。驚く――。日本人が押し殺しがちな感情を、会話の中でどんどん露にしていくその表情は、とてもカラフルだ。
「最近驚くのは、“感動なんかしたくない。疲れるから”と言って憚らない若い人がいること。心も身体の一部だから、驚いたり泣いたりしたら疲れるのは当然。“生きる”って“疲れる”ことだから。自分が生きている実感を得られるのは、よく疲れたときなのに。そんなこと言っても通用しないのかしら(苦笑)」
そうやって人生の本質を突くような言葉をズシリと言う一方で、芝居に関するコメントは案外控えめだ。
「芝居はチームでやるものでしょう? だから私個人が何を考えているかなんてどうでもよくて、みんなで何を考えられるかが大切なんです」
そんな彼女は、名だたる演出家からの信頼も絶大。この春は因縁(?)の唐十郎さんの唐組30周年記念公演「吸血姫」で全国を回り、秋からは、野田秀樹さんの「贋作 桜の森の満開の下」に出演する。
「『桜の森~』は、過去に上演された舞台を2回観ています。今回出演するにあたって、野田さんが30年前に書いた脚本をあらためて読んで、“登場人物は誰もが難民のようだ”と思いました。この舞台があらためて上演される理由はそこにあるのかも、と。でも、私たちは答えを提示するために芝居をするわけではないので、解釈は人それぞれでいい。観てくださった方の心が、いい意味で“疲れる”芝居になれば(笑)」
(取材・文/菊地陽子)
※週刊朝日 2018年8月3日号