彼女は、麻原と女性幹部I・Hとの間に3人の子どもがいることは知っていたが、浮気はそれだけだと思っていた。あちこちに女がいて、ほかにも子どもがいると教えると、「そんなはずはありません」と気丈に話していた。尊師の妻だったが、高慢ではなく、ごく普通の女性。当時、麻原とは別居で、愛人が大勢いることは知らなかったんだね。麻原の死刑執行後、遺骨を引き取りたいと主張していたが、彼女はオウムの後継団体とつながりがあるだろうから、四女の弁護人、滝本太郎氏が明らかにした「遺骨を粉にして、太平洋に散骨する」という方針の方がベストだと思う。

〈2012年、逃亡犯3人が捕まった〉

 3人ともどこかで生きているだろうと思っていた。平田信が出頭したのは、麻原の死刑を阻止するためとか言われたが、私は、単なる偶然だと思う。逃げることに疲れ果てたんだろう。

 菊地直子、高橋克也が捕まったのは、平田の逮捕でオウム事件が世間から再び注目され、警察庁が大々的に広報した成果だと思う。全員が出てきたが、新しい真実が出ることはもうないだろう。菊地は土谷の部下で手伝っていたが、彼女は化学兵器など詳しいことは知らなかったはずだ。

〈「オウム事件とは何だったのか」と問うと、大峯氏はこう総括した〉

 オウムの連中を捕まえてみて初めてわかったが、麻原は建前上、「ハルマゲドン(人類最終戦争)が起こるから、教団は武装しなければならない」と、毒ガスやライフル、ヘリコプターなどまで買って武装化した。しかし、麻原は本当は日本を乗っ取ろうとしていたのではないか。

 でも、たかだか1万人の組織で乗っ取れるはずがない。警察だけでなく、武装化した自衛隊もいるんだから。今でもやりきれないのは、当時、悩める若者たちはオウムへ走るしか、解決する居場所がなかったのかなということだ。その結果、麻原と結びつき、暴走した。一連の事件はオウムの教義がやらせたものだと思う。彼らは教義を信じようと感情をなくしていったんだろう。もうこんな事件は二度と起こってほしくない。(本誌 森下香枝)

※週刊朝日 緊急臨時増刊「オウム全記録」(2012年7月15日号)を加筆