この出来事を振り返って、私が「(施設に両親が土谷を連れていったことは)君のためにならなかったね」と語りかけると、土谷は自分の気持ちをわかってくれ、同情してくれていると思ったのか、気持ちがほぐれた様子で、受け答えをするようになった。

 土谷の両親は立派な人で息子のためにいろいろ努力したが、ついに連れ戻すことができなかった。彼が逮捕されると、両親は築地署にやってきたが、接見禁止で会わせることはできなかった。だが、遠くから土谷の姿は見せた。刑事課の出入り口に両親に立ってもらい、土谷を取調室の前に立たせたんだ。両親の姿を見たら、改心するかなと思ったが、土谷の感情の起伏はなし。動揺もまったくしていなかった。

〈取り調べはサリンの製造方法から始めた。取調室の机の上に紙と鉛筆を用意。土谷は鉛筆を手に、サリンの製造方法をフラスコの絵や化学記号や図入りで説明し始めたという〉

 土谷は頭脳的にはすばらしい科学者だった。サリンの化学式を自分で分解して、薬品会社から成分を取り寄せ、独力で作った。薬品会社もまさかサリンを作るとは思わなかったんだろう。サリンのノウハウ本など売ってないから、土谷は国会図書館、大学の図書館に通い、専門書をいろいろ読みあさったようだ。同じやり方でVX、ソマン、ニトログリセリン、イペリットガスなど他の化学兵器も作っていた。

 専門家に聞くと、化学知識があってもなかなかできるもんじゃないそうだ。土谷だから、できたんだろう。彼はロシアにも行き、化学を勉強していた。私は、サリンという言葉を事件で初めて知った。化学式なんかわからないから、調書を作成した後、科捜研の専門家に見せ、間違っていないかを確認した。

〈土谷が供述した、オウムの教義を信じるきっかけとなった体験というのは単純なことだった〉

 麻原は当時、「断食して修行すれば、力がわいて夢精をしなくなるなど、雑念がなくなる」と説き、土谷はそれに共感したと語っていた。だが、寝ない、飯も食べないという生活をさせられれば、誰でも性欲はなくなるよな、普通。よくよく考えればわかることだ。私なら絶対に引っかからないよ。だが、彼は麻原のまやかしに心酔していた。

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オウムでの地位はそれほど高くなかったが