最近良い薬が開発されて、今はもう良くなりましたが、それでも長い間患っていたことで、人よりは早く死ぬかもしれない、という思いは常にある。年に3回くらい主治医のところに行き、超音波やCTを撮って検査をするんですが、毎回、がんが見つかったらどうしよう、と、ドキドキします。
死に対する生物的な恐怖感は、人間であれば避けられない。それは信仰を持っていても、持っていない人と全く変わらないんじゃないかと思います。むしろ、取り乱し度や泣き叫び度は、僕のほうがひどいかもしれない(笑)。
違いはただ、死の恐怖を僕個人として受け止めるか、神との関係性において受け止めるか、でしょうね。僕の場合、生物的な生命の終わりが明確になった時点で、死の先にある世界が用意されているという聖書の約束――聖書側からの一方的なものだけれども――に立ち返る自分が想像できます。
もし、本当にがんになったとしたら、そう言って欲しい気持ちが7割、言って欲しくない気持ちが3割。何も知らないで、ある日、そのまま死んでたらいいな、なんて思う。そのくらい有無を言わせぬ重みがありますよね、死というものには。
※『医者の死生観 名医が語る「いのち」の終わり』から

