SNSで「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれるノンフィクション作家・山田清機の『週刊朝日』連載、『大センセイの大魂嘆(だいこんたん)!』。今回のテーマは「スカートの中」。

*  *  *
 ある日、新宿行きの小田急線に乗っていたときのことである。

 平日の昼間だというのに、車内は結構混み合っていた。優先席の前の吊革にぶら下がっていると、目の前で若い女性がコクリコクリと居眠りを始めた。

 彼女の左隣には、杖を握りしめた爺さんが座っている。黒縁メガネをかけ銀髪をオールバックにした、インテリっぽい爺さんである。

 女性はだんだん眠りが深くなってきたのか、やがて爺さんの方にもたれかかるようになった。

 女性がもたれてくると、爺さんは眉をしかめながら肩で女性を押し返す。また女性がもたれかかる。爺さんが押し返す。これが何度か繰り返されるうちに、爺さんは明らかにイライラし始めた。「ちっ」と舌打ちをしたり、「ったく」と短くつぶやいたりしている。

 女性のもたれ方がどんどんひどくなっていく。どうなることかと見守っていると、ついに業を煮やしたのか、爺さん、思い切り女性を押し返すと、

 ガツっ!

 なんと、杖の柄で思い切り女性の頭を殴ったのだ。

 
「うぐっ」

 女性は頭を抱えて、突っ伏した。

「おい、なにも殴ることはないじゃないか!」

 大センセイ、思わず大声を出していた。

「なんだ、お前は?」

 爺さんも大声を出した。

「アンタがやってることは、明らかに車内暴力だぞ。彼女に謝罪しろ」

「そもそも、この女が若いクセに優先席に座っているのがおかしいんじゃないか」

 爺さんは微妙に論点をズラしながら、攻撃の矛先をこちらに向けてきた。

「私は新聞記者だったからわかるんだが、お前、ロクな人間じゃないな」

 そ、それはそうかもしれない。胸を張ってロクな人間だとは言えないかも……。

「こ、こっちだって、物書きだぞ。文章を書く人間が暴力に訴えるなんていうのは、一番アレだぞ。元新聞記者だったらさぁ……」

 
 痛いところを突かれて感情が高ぶると、どんどん青臭くなってしまう。

「私にはわかるんだ。お前みたいに口が軽い奴は、二流の物書きだな。いや二流以下だ」

「失敬だな。出るとこ出ようじゃないか」

「おお、いいじゃないか」

 電車が新宿駅のホームに滑り込むと、爺さんとふたり駅長室へと向かった。

 驚いたのは、頭を殴られた女性が後をついてきたことである。爺さんの暴行を諫めてくれた恩人の潔白を証明するために、わざわざ駅長室まで同行しようというのだ。彼女の勇気に、ちょっと感動した。

「どうしました?」

 奇妙な三人組が駅長室に到着すると、中年の駅員がにこやかに出迎えてくれた。

 爺さんが口火を切った。

 
「この女、優先席に座って居眠りしていましてね、だからちょっと……」

「ちょっとじゃないだろ、杖で殴ったんですよ、杖で」

 駅員が女性の方を向いて、発言を促した。

 すると、何を思ったか、女性はいきなりスカートをまくり上げたのである。

「私、病院の帰りなんです。立ってると痛いから優先席に座っていたんです」

 彼女の膝には、たしかに白い包帯が巻かれていた。彼女は大センセイの潔白ではなく、自分自身の潔白を証明するために駅長室へやってきたのだった……。

 不思議なことに、爺さんの顔はよく覚えているが、女性の顔はまったく覚えていない。

週刊朝日 2018年2月9日号

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山田清機

山田清機

山田清機(やまだ・せいき)/ノンフィクション作家。1963年生まれ。早稲田大学卒業。鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(第13回新潮ドキュメント賞候補)、『東京湾岸畸人伝』。SNSでは「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれている

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