人は自分と同じ価値観の人、自分に共感してくれる人、自分を認めてくれる人とつながりたがる。それ自体は否定しないが、そうした居心地のいい関係性だけでは、結果的に自分自身を窮屈にしてしまう。

 あえて違う価値観や考え方、違う年齢の人と接する機会を作る。そこで生まれる違和感こそが大事なのだ。これは、米国の社会学者マーク・グラノヴェッターの言う「弱い紐帯の強さ」とも通じるが、強い絆の間柄より、有益で新規性の高い刺激をもたらしてくれるのは、弱いつながりの人たちのほうなのである。

 多様性というものを「いろんな人がいるよね」と解釈する人が多いが、そうではなく「自分の中の多様性を育てること」と考えてほしい。人は誰かと出会い交流することで、相対性として新たな自分の一面が自分自身の中に芽生える。つまり、人とつながることは、自分の中に「新しい自分」を生みだすことなのだ。外的なつながりの拡充こそが、自己の内面の多様性を育むのである。

 これからのコミュニティーとは、安心や安定のための快適な居場所ではなく、人と知り合い、知的好奇心を満足させ、自己を活性化するためのフィールド(練習場)になっていくだろう。 コミュニティーを活用し、自分の中の多様性をいかにアップデートし続けられるか。それこそが未来の個人化する社会を生き抜く「ソロで生きる力」の育成であり、精神的自立につながる。年齢は関係ない。常に自己の関係性を拡張していく意識が大事なのだと思う。ネットの普及により、昔と比べて人とつながることは容易になった。オンラインサロンでもネットのオフ会でもリアルにつながるきっかけは無数にある。AIやテクノロジーの活用も有効だろう。

「多様性の時代へ」と言われるが、本音では多様性を認められない人が多いのも事実だ。そうした方は、まずご自分の中の多様性について目を向けられるべきかと思う。本当の自分とは一人だろうか?唯一無二のアイデンティティーの存在を前提にしてしまうから多様性を認められないのではないだろうか。同じことが「自分探し」をし続ける若者にも言える。

 自分の中の多様性を育てる。それは、仕事や人間関係の唯一依存からの脱却であり、個人の社会的役割の多重化でもある。超ソロ社会は決して絶望の未来ではない。個人がバラバラに孤立して生きる社会ではなく、独身と家族が対立するのでもなく、むしろ人と人がつながり、「お互い様」と支え合う社会であってほしいと願う。

週刊朝日 2018年1月19日号より抜粋

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