
2004年に最年少で芥川賞を受賞し、その後も多くの読者を惹きつけ続けてきた、綿矢りささん。同名小説の映画化「勝手にふるえてろ」がまもなく公開。文壇の先輩である作家の林真理子さんが綿谷さんの原点や結婚生活などを聞きしました。
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林:綿矢さん、高校生のときはどんな感じだったんですか。
綿矢:本を読んでいる子が周りに多くて、世界の文豪を読んでいる人もいて、その人たちに本を教えてもらったこともありました。太宰治を読んだときにすごく感銘を受けて、それで自分で小説を書いてみようと思ったんです。ちょうど受験の時期だったので、賞がとれたら上京できるかなと思って。東京に行ってみたかったので。
林:賞をとって上京しようと思って書いて、実際に受賞するなんてすごいことですよ。そのとき書いたのが文藝賞(「インストール」)で、早稲田に入るとき有利になったんですか。
綿矢 それだけで入りました(笑)。自己推薦が始まったころで、自分で自分を推薦するんですけど、面接と論文で受験しました。
林:文藝賞は、田中康夫さんや山田詠美さんが受賞した非常に権威のある賞ですけど、何枚くらいですか。
綿矢:私は110枚ぐらいで応募しましたが、もっと多くてもいいのかもしれません。
林:その当時からワープロですか。
綿矢:ワープロでした。感熱紙に印刷して送ったので、「重い」って編集者の人に文句を言われました(笑)。
林:私が大学を卒業したころ、中沢けいさんが「海を感じる時」で群像新人文学賞をとって、高校生で小説が書けるんだ、賞もとれるんだ、私も書いてみようと思って書いてみたんだけど、10枚も書けませんでしたよ(笑)。もちろん才能の問題もあるけど、集中力と「必ず完成させるんだ」という強い意志がないと、100枚も書けないと思う。
綿矢:「自分の人生がかかってるんだ」みたいな切羽詰まった感じがあったからできたんだと思います。その後も勢いだけで書いてたから、小説をどう書いたらいいのかわからなくて、ひたすら読むばっかりで自分は書けないというときもあって、難しい職業だなと思いました。