『阿久悠と松本隆』(朝日新書)――不世出の作詞家2人を主人公とし、1970~80年代の歌謡曲全盛期を描いた本が売れまくっている。著者の作家・編集者中川右介さんの司会で、松本隆さんと作曲家の大野克夫さんに当時の舞台裏、今だから語れる秘話を語ってもらった。
阿久悠と松本隆の作品がヒットチャートで最初に激突したのは、ともに1975年12月に発売された都はるみ「北の宿から」と、太田裕美「木綿のハンカチーフ」だった。この年は、沢田研二が阿久悠と出会い、ピンク・レディーの2人が人気番組「スター誕生!」の予選を通過した年でもある。『阿久悠と松本隆』は、両氏が並走した75~81年を描く。
中川:いま握手されましたが、お二人がお会いする機会はあまりなかったみたいですね。
松本:派閥が違うんですよ。大野さんは“阿久悠派閥”だったから(笑)。
大野:もっと一緒にやりたかったなと思いますね。
松本:そうですよねえ。
中川:調べてみたら、お二人の共作は10作。
大野:記憶では3曲くらいかと……。アグネス・チャン「明日帰ります」が印象深いですね。
松本:三木聖子「三枚の写真」もいい曲でした。
大野:ご一緒したのは、渡辺音楽出版にいた木崎賢治さんの仕事でしたね。
松本:木崎さんは優秀なプロデューサーでね。でも、あまりにもご自身で想定するイメージが強くて、言う通りに書かされるから、こちらは面白くない(笑)。
中川:そこで指示と違う詞を書くと……。
松本:ぶつかっちゃう。
大野:僕は注文と違う曲を書いてうまくいくことが多かったですね。「勝手にしやがれ」も、「速い曲にしてくれ」という注文通りにつくっていたら売れなかったと思います。
中川:そういえば、三木聖子のデビューはジュリー主演のテレビドラマ「悪魔のようなあいつ」(75年)でした。その主題歌「時の過ぎゆくままに」で阿久+大野+沢田という黄金トリオが完成するわけですね。
大野:偶然ですけどね。
中川:「時の~」は阿久さんが詞を書き、大野さんのほか、井上堯之、井上大輔、加瀬邦彦、荒木一郎、都倉俊一の計6人によるコンペで曲が決まりました。
大野:選ばれるよう策を練りましたから(笑)
松本:そうなんですか!?
大野:詞をもらった途端にメロディーが浮かんだから、忘れないうちにさっさと帰ってその日のうちに作曲し、翌日には持っていったんです。早く聴いてもらった方が有利ですから。