初ソロ作品 NEIL YOUNG
初ソロ作品 NEIL YOUNG
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 バッファロー・スプリングフィールドが解散するとすぐ、ニール・ヤングは初ソロ作品の制作に取りかかった。ずっと前から彼の心はバンドを離れていたのだが、ともかく、契約面での問題もクリアし、ここでようやく、正式な形で第一歩を踏み出したわけである。1968年夏。22歳のときだ。
 このとき制作面で彼を支えたのは、デイヴィッド・ブリッグスと、バッファロー時代の意欲作「エクスペクティング・トゥ・フライ」にも貢献していたジャック・ニッチェ。セッションには、ライ・クーダー、キャロル・ケイ、ジム・メッシーナ、メリー・クレイトンらが参加している。
 ブリッグスは、トパンガ・キャニオンでの偶然の出会いをへて、ニールと親交を深めていったプロデューサー。それまではさほど大きな仕事をしていないはずだが、ニールのレコーディングに関しては、95年に亡くなるまで、そのほとんどに関わっている。ファッションや車の趣味、政治意識なども含めて、公私にわたり全幅の信頼を得ていたようだ。
 バッファロー時代にニールが感じていた不満は、スティーヴン・スティルスとの確執を別にすれば、主に、自分の書いた曲を形にして発表する機会が限られてしまうということだったのだと思う。つまり、曲はいくらでもある。初ソロ作品は、そのフラストレーションを一気に解消する場でもあった。「エクスペクティング~」の流れを汲む「ジ・オールド・ラフィング・レディ」から、彼自身のテーマ・ソング的な作品となる「ザ・ローナー」、のちにデイヴィッド・ボウイも取り上げた「アイヴ・ビーン・ウェイティング・ファー・ユー」、9分以上にわたって生ギター一本だけで歌いきる「ザ・ラスト・トリップ・トゥ・タルサ」まで、明確な方向性を打ち出すのではなく、内に秘めていたもののすべてをさらけ出したという印象だ。
 初ソロ作『ニール・ヤング』は、ニールの23回目の誕生日、68年11月12日にリリースされたものの、サウンド処理の面で問題があったため、翌年、修正版が制作された。この時点で、当初はポートレートだけだったジャケットに名前のロゴが加えられたのだが、09年再発の際、オリジナル・デザインに戻されている。[次回4/8(月)更新予定]