──子供の頃考えたことと同様に、やっていることもあまり変わってない、と?
坂本:そうですね。さらに言えば、モノ作りのやり方も変わっていないですね。砂遊びが面白いのは、砂をこねた先に、何ができるかわからないことだと思います。砂は砂。どういう形にもなる。いじっているうちに朧げに見えてくるけれど、最初は、何ができるかわからない。砂遊びは、大人が、「これが理想的な砂の遊び方です」なんてことを示せないし、そもそも示しちゃいけないですからね(笑)。映画に携わる人は、それが監督でもカメラマンでも照明でも、たぶん自分なりのプランとか青写真は持っていると思うんですが、僕はそれも捨てたほうがいいと思っている。個人の持つイメージなんて貧弱なものです。映画監督でも、大島さんや(ロベール・)ブレッソンなんかは、そういうやり方でしたよね。大島さんは、僕が、「戦場のメリークリスマス」でご一緒したとき、よく撮影現場で俳優さんに怒鳴ってましたよ。「演技なんてしなくていい。そこに立っているだけでいいんだ!」って(笑)。
──今回の映画の中で、坂本さんが薬を1錠ずつ飲むシーンが、何気ない場面なのに、すごく存在感があったことを思い出しました。
坂本:僕自身は、なんて痛々しくて醜いんだろう、と。目も塞ぎたかったし、耳も塞ぎたかった(苦笑)。全編通して自分ですから、恥ずかしいです。でも、こうしていろんな感想が聞けると面白いです。理解することは、誤解することでもありますから。どんどん誤解してほしいですね(笑)。(取材・文/菊地陽子 構成/長沢 明)
※週刊朝日 2017年11月3日号