──映画では、今年発売されたアルバム「async」の制作過程も描かれています。坂本さんの曲には、どこかレクイエム的な響きがあるのはなぜなのでしょう。
坂本 子供の頃から、モーツァルトやフォーレなど、レクイエムは好きでよく聴いていました。それに、「死んだらどうなるんだろう」ということも、昔からよく考えていたように思います。子供の頃と今と、考えていることがあまり変わってないのかもしれない。
──病気を経験され、死生観は変化していませんか。
坂本:ヘンな言い方をすれば、だんだん“死に親しくなる”感覚はあります(苦笑)。モーツァルトも、「若いときから、死はいつも親しい友人だった」みたいなことを書いています。僕の場合、若い頃から死と親しんでいたわけではないけれど、病気以降は、ただ死を恐れるばかりじゃつまらないな、と思うようにはなりました。人生は一回だけと言われていますから、できることなら、自分の死を観察して、リポートしてやりたいです、インターネット中継とかで(笑)。死んだ後も「今、トンネルのようなものに入った!」とか伝えられたら面白いのにと思います。
──今回はご自身が映画のモチーフとなったわけですが、坂本さんにとって映画とはどんな表現手段ですか。
坂本:映像芸術の入れ物であり、娯楽でもある。アートでもあり、エンターテインメントでもあるものです。僕にとっては、映画のほうが音楽よりもはるかに器が大きいと感じます。大きな器に、誰かの人生も、絵画のような素晴らしい映像も、音楽も入っている。その器にあらゆるものを乗せて、世界中に届けられるのが、映画です。
──映画にも大きな影響を受けてこられましたか。
坂本:受けてきていると思います。特に10代の頃はゴダールや大島渚さんの映画が好きで、夢中になって観ました。音楽を作るうえでも、随分影響を受けていると思います。
──では、音楽というのはどんな存在ですか?
坂本:うーん……。もちろん仕事ではあるんですけど、好きでやっていることですから……。好きなことでお金をもらえるのは幸福だし、有り難いことだと思います。でも、僕にとって音楽は、仕事ってことを抜きにすれば、感覚としては“子供の砂遊び”に一番近い。僕は今でも、日がな一日、砂のお城を造ったり、子供のようなことをやっている気がしてしょうがないんですね(笑)。そんなことを、もう40年ぐらいやっている。