先日、東北に住む友人に「Jアラート、どうだった?」と聞くと「今はまだ話したくない」と冷めた声で言われた。「まだ整理できないの、簡単に聞かないでくれ」と。東京にいると実感できないJアラートのけたたましさ、意味のなさは、明確な国家暴力だったのかもしれない。気軽に話せないほど、既にトラウマ体験になったのだ。
想像する。早朝、耳を裂く激しいサイレンに起こされ、部屋のテレビが勝手にしゃべりだし、布団を頭までかぶり叫んでも、サイレンの音でかき消され、部屋の中まで入り込んでくる「国家」に手も足も出ない状況が15分近く続くことを。彼女が言うには、どんなに「国家」が喚こうが、Jアラートを全く信じていない自分がいたという。つまりは安倍さんを全く信じてない。とはいえ、「国家に対する脅威」の前には口を噤むしかない思いの自分もいる。その現実に気持ちがついていかない、言葉にならないのだと彼女は言った。
今日もどこかの国の衛星が「我が国の上空」を飛んでいる。空はどこまで領空なのか。そんな冷静な前提が語られる間もなく、栃木県は鳴ったのに隣の埼玉県は鳴らなかった論理的な説明もなく、「パニクられたら困るから首都圏は鳴らさなかったんじゃない?」と言う人は少なくない。そんな言葉に信憑性があるほど、不自然だった。数分後には上空を通過していたのに、Jアラートは15分も鳴った。北朝鮮拉致被害問題で名をあげ総理になったのに、拉致被害者の死は一切認めない、全員返せ!と言うのは勇ましいが、未来を築くための地道な外交を放棄し関係を悪化させ、武力行使をちらつかせるという憲法違反をやってのけ、しまいには衆議院解散だとは。心の中にアラートが鳴り始めてきた。豊田議員でなくても叫びたい。違うだろー! このアベー!
※週刊朝日 2017年10月6日号