心臓が張り裂けそうでした(撮影/写真部・大野洋介)
心臓が張り裂けそうでした(撮影/写真部・大野洋介)

 世界各地の大会を勝ち抜いた鉄人が集まる、ハワイのアイアンマン世界選手権。10月14日に開催される今年の大会で、稲田弘さん(84)は80歳以上の枠のただ一人の出場者だ。

「完走できれば優勝です」と稲田さんは笑うが、水泳3.86キロ、自転車180.25キロ、ランニング42.195キロの合計約226キロ。通常のトライアスロンの4倍以上の距離を17時間以内に走破しなくてはならない。

 当然、日々のトレーニングも過酷なものになる。週4日は所属する稲毛インターナショナルトライアスロンクラブに通い、オリンピック級の選手たちと練習する。まず朝6時から3千~5千メートル泳ぐ。

「泳ぐというより泳がされる。もう死ぬ思いですよ」

 水泳の後は自転車、日によってランニングが加わる。8月には志賀高原での合宿に参加した。いわば高地トレーニングだ。自転車で山道を25キロ上り続けた。

「心臓が張り裂けそうでした。でも、やり切らないとハワイでの完走はない。若い人にはあっと言う間に置いていかれて一人旅です」

 3種目で最も長く、きついのがこの自転車だという。それに比べれば最後のランニングは軽い。

「42キロはものすごく短いですよ。これでレースが終わると思うと気分も楽」

 自転車で転倒して鎖骨や肋骨を折ったこともあるし、腰痛も抱えているが、若い人と同じ練習メニューをこなしている。しかし、稲田さんも突然鉄人になったわけではない。60歳でNHKを退職し、難病の妻の介護をしていた。少しは外に出なくてはと、近所にできたスポーツジムで水泳を習った。69歳で自転車を購入。70歳のとき妻が亡くなった。初めてトライアスロンの大会に出て完走したのも70歳だった。

 5年後、さらに過酷なアイアンマンレースに挑戦する。ところが制限時間をオーバーして失格。悔し涙を流していたら、大会役員が現在所属しているクラブを教えてくれた。それまで自己流でトレーニングをしていたが、以来、コーチの作る練習メニューに取り組み、生活も姿勢も一変した。若い選手のひたむきさにも心を動かされた。

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