
潮田登久子(うしおだ・とくこ)(右)/1940年、東京都生まれ。63年、桑沢デザイン研究所卒業。66年から78年まで桑沢デザイン研究所および東京造形大学の講師を務める。75年ごろから写真家として活動。冷蔵庫を正面から撮った『冷蔵庫 ICE BOX』、『みすず書房旧社屋』、書籍をオブジェとして撮った「BIBLIOTHECA/本の景色」シリーズ、夫との共著で、中国の一般庶民の生活や雑貨などを撮ったシリーズなどがある。
夫・島尾伸三は、夫婦の狂気の愛を描いた『死の棘(とげ)』で知られる作家・島尾敏雄の息子で、その小説の「妻」のモデルとなったミホとの間に生まれた。両親の異常な抑圧から逃げるようにフラフラと生きていたが、8歳上の写真家の妻・潮田登久子と出会ってから人生は思わぬ方向へと転がっていった。
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夫:出会いは、40年ぐらい前。写真集のシリーズをつくることになって、1冊目を「潮田さん」にお願いするために勤め先の桑沢デザイン研究所へ行ったんです。そしたらかわいい女の子が出てきて、ナンパしたのが登久子さん本人だったんですよ。最初から話が盛り上がって、3回目のデートで茅ケ崎の自宅まで連れて帰りました。
妻:不思議とあうんの呼吸で話せて、楽しかったんですよね。町を歩いていて興味を惹かれるものや見ているものが同じだし、一緒にいるとすごく楽だった。
夫:体の相性もピッタリだったしね。
妻:いや、そういうことじゃなくて(笑)。
夫:中国の田舎とか香港の下町とか厳しい環境に連れていっても、この人すごくタフだったんですよ。ブタを解体している店の前でごはん食べるのも平気だし、何を食べてもおなかを壊さないし。それまで付き合った女の子はみんな下痢して、匂いが嫌だとか文句ばかり言ったのに、登久子さんは全然大丈夫なの。
妻:好奇心のほうが先立って、汚いところに行っても、お行儀が悪い人たちを見ても、こういう文化なんだってすぐ思っちゃうから。
夫:私が29か30歳のころで、ようやく一緒に旅行を楽しめる人が現れた、頼もしい人だなってうれしかったですね。
妻:私は37歳だった。
夫:そんなに年上だと思わなくて、むしろ自分よりずっと下の女の子と付き合ってる感覚だった。年齢とか全然気にならないから、それは今も変わらないけど。
妻:当時、両親は私のことを心配していたので、お見合いもたくさんしたんです。けれど、縁がなくて。でも結婚願望はなかったので、島尾とはただウマが合うから一緒にいるという感じでした。
夫:付き合い始めて3カ月目に、登久子さんが妊娠3カ月だとわかって「どうする?」という話になりまして。私はセックスする相手の歯並びや健康状態をよく観察していたんですけど、この人は歯並びもきれいで健康で精神もタフだったから、きっと心身ともに健康な赤ちゃんが生まれるだろうと思ったんです。