西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。帯津氏が、貝原益軒の『養生訓』を元に自身の“養生訓”を明かす。

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【貝原益軒 養生訓】
老後は、わかき時より、月日の早き事、
十ばいなれば、(中略)余日(よじつ)を楽(たのし)み、いかりなく、
慾すくなくして、残躯(ざんく)をやしなふべし。
(巻第八の4)

 残躯とは、老いぼれて生き残ったからだのこと。伊達政宗(1567~1636)の晩年の五言絶句に、

「残躯天所赦(残躯は天の赦[ゆる]す所)」

 というものがあります。老後は天も赦してくれるだろうという意味です。

 益軒は老後について「わかき時より、月日の早き事、十ばいなれば、一日を十日とし、十日を百日とし、一月を一年とし、喜楽して、あだに日をくらすべからず。つねに時日をおしむべし」(巻第八の4)と説いています。年老いてからの時間を無駄にするなというのです。

 85歳(数え年)まで生きた益軒は老境を十分に楽しみました。酒をこよなく愛し、22歳も若い愛妻と添いとげ、晩年になって200冊もの著作をものにしたのですから、大したものです。

「老後一日も楽しまずして、空しく過ごすはおしむべし。老後の一日、千金にあたるべし」(同)をまさに実践しました。益軒は幸福は人生の後半にあるという考えの持ち主で、「余日を楽み、残躯をやしなふべし」と語ります。

 私事にわたって恐縮ですが、私も今年、満81歳になりました。幸い現役の医者として仕事を続け、残躯という余裕はないのですが、老境の素晴らしさというものを感じるようになってきたのは間違いありません。

 振り返ってみると、60代になって1年余りが過ぎた頃、「なんといい時代だろう。60代こそ、人生の華だ」としみじみ思いました。知力、体力ともに衰えず、酒量も落ちない。仕事も思い通りこなせて、その上に急に女性にもてるようになったのです。なぜかはわかりません。でも以前、対談した筒井康隆さん(当時76歳)も「今が一番もてる」と話していました。もてるようになって、こちらも急に女好きになりました。これぞ、わが世の春です。

 70代になって、他人(ひと)の名前が急に出なくなることが多くなりましたが、それを除けば、ほかのことはほとんど変わりませんでした。そして、いまや80代。その風光やいかにといったところです。60代が人生の華だと思いましたが、70代もなってみるといいものなのです。そして、80代になってみたら、これが、またいいんですね。

 もちろん、そのためには、備えも怠ってはいけません。養生訓の研究家である立川昭二先生によると、老いても豊かに生きるためには、「一に生活費、二に健康、三に生きがい」が必要だということです。蓋(けだ)し名言ですね。

 益軒はこう語ります。

「年老(おい)ては、わが心の楽(たのしみ)の外、万端、心にさしはさむべからず。時にしたがひ、自(みずから)楽しむべし。自(みずから)楽むは世俗の楽(たのしみ)に非(あら)ず。只、心にもとよりある楽を楽しみ、胸中に一物一時のわづらひなく、天地四時、山川の好景(こうけい)、草木の欣栄(きんえい)、是又、楽しむべし」(巻第八の23)

 年老いたら、自分の本来の心の楽しみだけに専念して、四季や山川の景色、草木の繁るのを楽しめというのです。そういう老後を、迎えたいものです。

週刊朝日 2017年6月30日号