6月18日は「父の日」。今は亡き著名作家たちが愛した店の名物料理の思い出を、娘たちが語ってくれた。
* * *
【檀一雄&檀ふみ】
父は自分で料理をしてお客さまをもてなすのが大好きな人だったから、家族で一緒に外食した記憶は、1回だけおそば屋さんに行ったことしかないんです。
家族一緒ということではありませんが、デパートにお供で付いていくと、買い物を済ませてから上の階の食堂に連れていってくれて、お子様ランチなんかを食べさせてくれたことはありましたが。
でも、「渋谷の小川軒に私が出掛けていったとする。すると、主人は、ためらいなく、『ダンシチューですか』と笑って、訊いてくれるだろう」って自著『檀流クッキング』に書いていたので、これは特別なシチューだったと思います。
牛の尾と舌を使う「ダンシチュー」を家で作ることはあまりなかったけれど、牛の舌だけで作る「タンシチュー」は、実際よく作っていました。晩年、入院した父が「タンシチューが食べたい」というので、父のレシピ通りに作って、差し入れたこともあります。
ちなみに、私が小川軒で食事したのは、父が亡くなった後、女優になってから。仕事関係の方との会食で、でした。実は小川軒の「ダンシチュー」は、まだいただいたことがありません。今では予約しないと食べられないようですが、一度は味わってみたいですね。
【野坂昭如&野坂麻央】
年末になると、よく年越しそばを神田やぶそばで買ってきてくれました。父はお肉が好きなので、お店では、かも南そばを食べていたようです。
今はもうありませんが、銀座にあった「レンガ屋」でも、当時は珍しかったタルタルステーキ(生肉)を注文していました。
そうしょっちゅうではありませんが、誕生日や両親の結婚記念日には、ホテルのレストランに連れていってくれた思い出があります。そこで、子どもだった私が肘をついていたりすると、「左手は?」などと、たしなめられたり、マナーには厳しかったです。
父は『火垂るの墓』にあるように戦時中、妹を食べ物がなくて亡くしてしまった経験があるからか、「家族を飢えさせない。おいしいものを食べさせたい」っていう意志が、あったように思います。買い物が好きだった、ということもあると思うんですが、家族にはよく食べ物を持ち帰ってくれました。神楽坂の旅館で缶詰になったときは、終わると「五十番」で有名な肉まんをたくさん買ってきてくれたり、地方にいったら、有名な駅弁がお土産だったり。
私が宝塚歌劇団在籍中に、寮生活をしていた頃も、両手いっぱい差し入れをしてくれて。中には長く持ち歩いたせいか、腐りかけていたものも(笑)。
読者の方にしてみると、破天荒というか、暴れん坊のイメージかもしれませんが、家族には、ちょっと照れ屋で、やさしい父でした。
【藤沢周平&遠藤展子】
父は、他の作家の方々のような、「作家=グルメ」といったイメージとは、ほど遠い人でした。ご馳走して頂いたものがおいしかったとしても、同じものをまたあえて食べにいく、ということはまずなかったように思います。
家でも好き嫌いはあまりありませんでしたが、東北出身だったから、塩鮭や漬物など、しょっぱいものが好きでしたね。お醤油はなんにでもかけていました。昼食はパンが多かったのですが、朝食と夕食は和食で、肉よりもお魚を食べることが多かった。
外食はそんなにしませんでしたが、編集者の方が自宅へいらしたときや私や夫が家に遊びに行った時には、お寿司やお蕎麦や鰻を、出前で取ることもありました。鰻屋さんでは、うな重よりもお腹にもたれない「鳥重」を頼んだりしていました。
美幸鮨からは息子の誕生日や子どもの日にも、出前をとりました。後で知りましたが、ご店主と私、ご店主の息子さんと私の息子が同級生。父が珍しく「ここの鮨はおいしい」と言ったお店と、こうした縁があるというのも不思議な話。きっと父がつないでくれたんですね。(本誌・工藤早春)
※週刊朝日 6月23日号より加筆