●ぼくは、「1Q83」を生きた
さあ今回も1983年、村上春樹流に言えば「1Q83」の話です。
この年、ジャズ系の新譜はどんな感じだったかといいますと…。
※相変わらずのフュージョン人気。外国のものだけじゃなくて、日本のフュージョンもすごく盛り上がっていた。活動を休んでいた渡辺貞夫が、ラルフ・マクドナルドをプロデューサーに迎えた『フィル・アップ・ザ・ナイト』で復活し、日野皓正がTVコマーシャルに出演、マリーンも大人気、マルタがソロ・デビューを果たした。
※ハービー・ハンコックが『フューチャー・ショック』で世間を驚かせる。スクラッチ、ヒップ・ホップ等、聞きなれない用語の数々に、ジャズ・ファンはびっくり。
※ウィントン・マルサリスがソロ第2弾『シンク・オブ・ワン』発表とほぼ同時に、クラシックを演奏したアルバムもリリース。超絶テクニックで圧倒した。
※リズム・セクションを一新したウェザー・リポートが『プロセッション』を発表。マンハッタン・トランスファーのゲスト参加も話題に
※キース・ジャレットの『スタンダーズvol.1』登場。けっこう賛否両論だった。今のような高い(不可侵的な)評価ではなかったことは、ぜひ記憶されたい。
もちろんマイルス・デイヴィスもアート・ブレイキーもギル・エヴァンスも健在でした。世間ではコンパクト・ディスク(まだCDとは略されていなかった)も話題になりはじめ、我が田舎のレコード店でもマイケル・ジャクソンの『スリラー』や松田聖子の『パイナップル』などが展示されていた覚えがあります。“こんな小さい盤の、どこから音が出るんだろう”と幼い私は本当に疑問に思ったものです。
しかし83年ごろの私は、ジャズの新譜を殆ど買っていません。理由のひとつは価格設定にもありました。当時のLPレコードの新譜の売価は2800円。はっきりいって中学生には高すぎたのです。そして、話題の新譜は、たいていの場合、全曲とはいわないまでもラジオでかかりました。NHK-FMの「軽音楽をあなたに」、「サウンド・オブ・ポップス」、「クロスオーバー・イレブン」、「ゴールデン・ジャズ・フラッシュ」をチェックしていれば、なんとなくアルバムの雰囲気はつかめたのです。気に入ったものがあれば、繁華街にある唯一の貸レコード店に出かけてそれを借りて、カセット・テープに録音すれば、一通りの満足はできました。
●ウィントンはクリフォードの再来だった?!
しかしジャズの復刻盤を揃えているような粋な貸レコード店などありません。フュージョン系の演奏はラジオをひねれば聴くことができましたが、自分はもっと熱いジャズが聴きたいと思ったとき、50年代から60年代に録音されたモダン・ジャズの名盤の数々は、これ以上ないほど心に迫ってくるものでした。おりしもウィントン・マルサリスという若くて小生意気なトランペット奏者がスーツを着てステージに立ち、アコースティックな4ビート・ジャズを演奏し、「ジャズの伝統がどうしたこうした」と言っているのが話題を呼んでいた時代です。ジャズの伝統ってなんだろう?と私が思いたったのも不思議ではありません。
また、今の皆さんは怪訝に思われるかもしれませんが、ウィントンは当時、クリフォード・ブラウンの再来ともいわれていました(若くしてデビューしたジャズ・トランペッターが、ほぼ例外なくそう言われることを、そのころの私は知りません)。そこで私は、またしても気になることが増えてしまいました。クリフォード・ブラウン? なんとなく聴き覚えはあるけれど、もう一回改めて、しっかり接してみなくちゃ。
そんな私が、「クリフォードのアルバムが大量に、音を良くして再発売される」という雑誌の広告記事を見たのは83年11月ごろのことだったと思います。
●伝説のトランペッターが時代を超えて心に迫ってきた
日本フォノグラム(当時)から発売されたクリフォードの復刻盤は、我が田舎にも入ってきました。もちろん私も何枚か買いました。もっとも印象に残っているのは、世界初登場の楽曲を含む『モア・スタディ・イン・ブラウン』というアルバムです。モア、とタイトルにつくぐらいですから、その前には『スタディ・イン・ブラウン』という作品があるのですが、それはジャズ喫茶で聴いています。なので今回はあえて、『モア~』を買ったわけです。トランペットを吹くクリフォードのモノクロ写真も実にかっこよく、ジャケットから音が聴こえてくるようでした。
家に帰って、さっそく針をおろします。マックス・ローチが叩き出すドラムスのイントロダクション一発で、私の顔じゅうに笑みが広がりました。すごく楽しいのです。生き生きしているのです。クリフォードが大昔に若くして亡くなったことは、当時の私でも知っていました。が、サウンドが鮮烈なのです。新鮮なのです。歳月の流れを飛びこえてくるのです。「優れたアートは時代を超越する」なんて、かっこいい言葉は当時の私には思いつきません。しかし、クリフォードの音は、ものすごいリアリティで私の心を掴みました。肉厚で骨太で、とことんキラキラしていました。
そして私は思いました。なんだ、ウィントンには全然似てないや。ブラウンの演奏って本当に親しみやすくて魅力的だけど、ウィントンのトランペットって冷たくて無愛想で、ガリ勉野郎みたいだな。
以来ぼくは『ベイズン・ストリートのブラウン=ローチ』、キングレコードから出ていた赤いジャケットの『イン・コンサート』、ブルーノート1500番台番号順復刻シリーズの『メモリアル・アルバム』等を次々に購入、さらにさらにブラウンのトランペットが作り出す豊穣の海に溺れていくわけです。