子孫が語る刀剣と秘話(※写真はイメージ)
子孫が語る刀剣と秘話(※写真はイメージ)
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 下層階級出身の豊臣秀吉が、なぜ天下統一という偉業を成し、関白・太閤まで上りつめることができたのか。我々は、小説や映画、テレビドラマ、講談などでこの謎を想像するしかない。

 秀吉については『甫庵太閤記』『川角太閤記』『絵本太閤記』などの古典を別にすれば、小説としては吉川英治『新書太閤記』、山岡荘八『異本太閤記』、海音寺潮五郎『新太閤記』、司馬遼太郎『新史太閤記』がよく知られている。その中で一番新しく親しまれているのは、司馬の『新史太閤記』かもしれない。

 その『新史太閤記』は、「冷徹な史眼と新鮮な感覚によって今日の社会に甦らせたもっとも現代的な太閤記」(帯の文)で、秀吉は日本史上もっとも巧みに人の心を捉えた“人蕩(ひとたら)し”の天才と書かれている。

 司馬はエッセーや講演などでも太閤になるまでの秀吉を、「明るい人物で、柔軟性に富んでいて、人に好かれる才能を持っている。その一方で、価値観は非常に即物的で形而下」と定義している。秀吉に対する人物評には関西人特有の「秀吉贔屓(びいき)、徳川嫌い」が随所に散見され、微笑ましい。

 そんな秀吉の愛刀が「一期一振」で、額銘は「吉光」。鎌倉時代中期の刀匠粟田口藤四郎吉光の作だ。吉光には短刀が多く、太刀はこの1振りしか作らなかったとされたところから「一期一振」といわれている。

 刃長は2尺2寸8分(約69センチ)。反りは8分5厘(約2.58センチ)。豊臣家の刀剣目録「豊臣家御腰物帳」には、「一之箱 いちご一ふり刀」と記されており、最重要家宝を納める「一之箱」に大事に秘蔵した。

「秀吉は貧しい家の出です。それゆえ、高価なものや、評判の高いものを欲しがったんじゃないですかね」とは木下家19代当主の木下崇俊さん。一方、そんな秀吉の子孫である木下さんは刀にはあまり興味がないという。ただ、日本刀について特別な経験がある。

「終戦後間もなくの頃、今の銀座三越の3階か4階に剣道の道場があり、中学の2~3年生のとき、そこで稽古をしていました。いつも木刀を使っていたのですが一度、真剣で竹を切ってみようとしました。しかし竹は、折れただけで切れませんでした。刀を使うのは難しいと感じたことを覚えています」(木下さん)

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