フレディ・ローチ『モー・グリーンズ・プリーズ』
フレディ・ローチ『モー・グリーンズ・プリーズ』

●ああオレは運がいいのだなあ

 私は今年で人間生活40周年を迎えます。風呂に入ったとき、便所で用を足しているとき、鼻くそをほじっているとき、まあなんでもいいですが、年をとるとなにかと人生振り返りモードに入って感慨深くなってしまいます。

 そして思うのです。「ああオレは運がいいのだなあ」と。

 といっても別にアパートの屋根裏から徳川埋蔵金が出てきた、とか、たまたま拾った財布を交番に届けたらその持ち主がロックフェラー級のリッチマンでささやかなお礼ですがと金の延べ棒、土地、家、フェラーリをセットでプレゼントされたとか、そういう破天荒な運のよさではありません。

 たとえば私は、「オルガン・ジャズやホンカーに強い」とされてきました。そのため、オルガン・ジャズやホンカー関連のアルバムが出たりライヴが行なわれたりすると、それに関連する仕事をいくつもいただいてまいりました。長年そうしたものについていろいろ書いたり、お話したりしていますので、まるで私が幼い頃からコテコテのジャズに親しんできたように感じられるリスナーもいらっしゃるようです。光栄の至りでございます。

●ジャズ・オルガンの衝撃

 しかし残念なことに、というべきでしょうか、私は日本の地方都市で生を受けました。ハーレムの安酒場の支配人の息子として、ハモンド・オルガンの響きを子守唄代わりに育ったわけではありません。聖歌隊でゴスペルをシャウトした経験もありません。しかも私の育った田舎では販売されているジャズ・レコードも僅少、オルガン作品など皆無に近いものでした。

 今では信じられない話だと思いますが、70~80年代、オルガン・ジャズは日本ではメタクソな扱いを受けていました。ジミー・スミスに限っては、名前の覚えやすさもあってか、そこそこの人気がありましたが、それは“ジャズ・ミュージシャン”としてどうこうというよりも、“歌のないポップス”としてベンチャーズ等のとなりにおかれた、という意味での“人気”です。

 だから田舎時代の僕は、オルガン・ジャズというものがあるということすら知りませんでした。ガキにとってのオルガンといえば教室にある足踏みオルガン、または教育テレビの音楽番組などで登場するパイプ・オルガンです。ハモンド・オルガンの存在を知ったのは、ずっと後のことです。

 それだけにオルガンで演奏されるジャズに接したときは、衝撃でした。忘れもしない1985年の春、もう場所を忘れてしまった旭川市郊外の中古レコード店で、私は1枚のアルバムに出会います。

 フレディ・ローチの『モー・グリーンズ・プリーズ』。

 東芝EMIからリリースされた国内盤LPです。なぜこれを買ったのかが記憶にありませんが、おそらくR&Bシンガーのようなローチの風貌、ジャケット全体から溢れる黒々とした雰囲気に惹かれたのでしょう。

●“日常のジャズ”に出会う

 バスを乗り継いで家に帰って、盤に針を下ろします。

 かっこいいじゃないですか、楽しいじゃないですか。オルガンの響きの、なんという素晴らしさ。それまで音楽室やテレビ番組で聴いていた音とは、まったく違います。

 オルガンのジャズっていいなあ。こんなにいいのに、どうして活字にならないのかなあ。どうしてみんな無視同然なのかなあ。まあ別にいいか。とりあえず街にあるオルガン・ジャズのレコードを全部買い占めよう。

 そう思った私は、コツコツとオルガンものを集めてゆきます。主に中古ですが、ラッキーなことにオルガンものは売値が安めなのです。たとえばキングレコード発売のブルーノート盤でも、ソニー・クラークとジミー・スミスでは2~300円の差があったと思います。でも今やオルガンもののほうが取引価格が高いということもあるようですから、まさしく時代は変わるというものです。

 86年頃になると、OJCシリーズの輸入盤でプレスティッジのソウルフルなジャズ・アルバムが次々と復刻され、少しながら輸入盤取扱店にも入ってきました。私はそこでジャック・マクダフやラリー・ヤングといったオルガン奏者を知り、ウィリス・ジャクソンやジミー・フォレストの豪快なサックスを覚えました。書籍や電波はもちろん、ジャズ喫茶すら教えてくれなかった(おそらく吹き込み当時のアメリカ黒人にとっての)“日常のジャズ”がそこにありました。R&Bやソウル・ミュージックと、ジャズが私の中でピッタリと重なり合いました。

 以来20数年、私は一日もオルガン・ジャズ~ソウル・ジャズを欠かしたことはありません。