
●フェスティバル会場は広かった
前回は「マウント・フジ・ジャズ・フェスティバル・ウィズ・ブルーノート」についてのお話をさせていただきました。個人的にはついこの前のこと、という感じですが、よくよく考えてみればもう20年も昔のことになるのですね。
私がこのフェスティバルに初めて参加したのは1991年のことでした。当時は今よりも幾分時代が良かったので、マスコミ関係者はアゴアシつきでした。朝の7 時だったかに新宿のバス乗り場に集合し、テレビ局や雑誌や新聞のひとたちが合流、3時間から4時間ゆられて会場に向かうのです。自然、バス内は自己紹介や名刺交換の場となります。私も、それまで誌面でしか名前を知らなかったジャズ評論家のみなさんを生で見る機会を得ました。レコード会社の方は車内で、今度発売される新譜のカセットテープを配っていました。そうです、まだ当時、試聴用の音源はカセットだったのです。
揺られに揺られて、マスコミ用のバスはホテルに到着します。といってもフェス会場の北側にある「ホテル・マウント・フジ」はミュージシャンの宿ですので、我々は南側にあるホテルに泊まります。そして開演時間の(たしか)45分前にホテル前に集合し、バスに乗って会場に向かうのです。
客席スペースは、それはそれは広いものでした。無限に並べられた椅子の、ほぼすべてにひとがいました。「ジャズで1万人が集まる時代」があったことを、皆さんは信じられますでしょうか?
●ジョージ・アダムスの咆哮が耳から離れず
ベテランの先生方はすぐテントに入って、茶を飲んだり飯を食ったりしていました。なかには「このひと、実はジャズが好きじゃないのかな?」と思えるような雰囲気の方もいましたね。ですが私はなにしろジャズ・フェスの取材デビューです。あちこち見てまわりたくてしょうがありません。それに少しでも近い距離で演奏を聴きたくてしょうがありません。だから飛び回りました。だってそうじゃないですか、北海道旭川市に住んでいては決して生で見ることのできなかったジョージ・アダムスやジャック・ディジョネットやゲイリー・トーマスやジャン・ポール・ブレリーやハンニバル・マーヴィン・ピーターソンがステージで演奏しているのですよ! これをひとつの夢の実現といわず何といいましょう。
ジョージ・アダムスは“オールド・フィーリング・バンド”という新しいユニットで登場しました。個人的には彼とドン・プーレンが一緒に組んだバンドが大好きだったのですが、あえてピアノを省いたこのバンドもむちゃくちゃ盛り上がるステージを聴かせてくれました。アダムスはマイクなしでも音が鳴り渡るビッグ・トーンの持ち主です。その彼があえてサックスの朝顔をマイクに突っ込んで、身をよじりながらプレイするときがあります。そうするとサックスの音色にディストーションがかかり、怪獣が吠えているようなサウンドが生まれるのです。
咆哮するアダムス、絶叫する観客。
私はこのフェスに間に合って本当に良かったな、と今さらながら思います。というのはアダムスのマウント・フジ出演はこれが最後となり、翌年には52歳の若さで急逝してしまうからです。
●2種類ある『オールド・フィーリング』
ジョージ・アダムスのアルバム『オールド・フィーリング』は、このフェス出演の直前に発売されたと記憶しています。つまりマウント・フジでのステージは、この作品をライヴで再現する、というものだったのですね。『オールド・フィーリング』には、東芝EMI(当時)から先行発売され、その後アメリカ・ブルーノートからリリースされました。前者は大きな木が写ったジャケット(日立のコマーシャルの「この木なんの木」みたいな)、後者は演奏中のアダムスの写真が用いられています。見た感じ印象的なのは前者ですが、後者にのみ《ベター・ギット・ヒット・イン・ユア・ソウル》(チャールズ・ミンガス作)が入っているのですね。これがまた、ライヴさながらの熱い演奏なのです。他のナンバーが比較的ゆったり目なので、日本のレコード会社はあえてこの曲をCDから外したのかもしれませんが、今からこのアルバムを買おうという方には、ブルーノート盤を強くおすすめします。