ハンニバル・マーヴィン・ピーターソン『ハンニバル・イン・ベルリン』
ハンニバル・マーヴィン・ピーターソン『ハンニバル・イン・ベルリン』
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●好きならば、好きだと言おう

 ジャズ・ファンならば誰でも「いわゆるジャズ・ジャイアントではないかもしれないが、オレはこいつが好きで好きでたまらないんだ!」とシャウトしたくなるようなミュージシャンがいることでしょう。

 ぼくの場合、トランペット奏者のハンニバル・マーヴィン・ピーターソンとテナー・サックス奏者のビリー・ハーパーが、これに当たります。音楽学校ジャズ科出のミュージシャンの端正な演奏に慣れてしまったリスナーからは、「えっ、あんな荒っぽい演奏のどこがいいの? ハーパーなんて、音程ムチャクチャ悪いじゃん。しかも演歌みたいなこぶしが入っているし」といわれそうですが、好きなんだからしょうがないじゃないですか。

 私が彼らの演奏を初めて聴き、胸を熱くしたのは1977年頃のことです。当時はフュージョン(まだクロスオーヴァーと呼ばれていました)も流行っていましたが、私は「なんかチャカポコした音楽だなあ」と思うにとどまりました。そして親が買ってきたVSOPクインテットのレコードを聴き、「熱いようで、実は冷めた演奏だな。ハーパーやハンニバルのほうが、よほど燃えているよ」と感じたものです。

●ハンニバルがテレビで流れた日

 私とハンニバルの出会いは、レコードでもラジオでもなくテレビでした。記憶するところによると土曜日の昼、たしかHTB(北海道テレビ放送。東京でいうとテレビ朝日)でアメリカのジャズ・フェスティバルの中継番組が流れたのです。どんなミュージシャンが放送されたのかよく覚えていないのは許していただきたいところですが、ロイ・エルドリッジが歌を歌っていたのと、ハンニバルが体を弓のように反りかえしながら、ものすごい音圧でトランペットを吹いていた図だけは今も鮮明に思い出すことができます。

 曲名も覚えています。「讃美歌23番」、これに間違いありません。というのは、「変な曲名だなあ」という記憶があるのと、放送後しばらくして発売されたアルバム『ハンニバル・イン・ベルリン』に、この曲が入っていたからです。

 ハンニバルのプレイによって“トランペットとはこう吹くものなんだ”と刷り込まれた私は、中学校に入って、いの一番に吹奏楽部に行き、トランペットを志望します。

●トランペットに挫折した12歳の春

「すみません、入部したいんですが」。

 部長が出てきました。「何をやりたいの?」。「トランペットです」。「ほら、吹いてみて」。

 まったく音が出ませんでした。

 当たり前です。さんざんトランペット奏者の演奏中の写真を見ていたにもかかわらず、私は正しい吹き方を認識しておらず、リコーダーを吹くようにマウスピースをくわえて、そこに息を思いっきり注ぎ込んでいたのですから。部長も部長です。「そうじゃないんだよ、唇にマウスピースを当てて、唇をふるわせて音を出すんだよ」と言ってくれればいいものを、「音、出ないね。他の楽器にしたら?」と言い放つのですから。

 私はハンニバルへの道をあきらめ、ほっぺたのふくらませすぎでジーンと痛くなったエラの部分をさすりながら、トボトボと帰路についたのでした。