

●犬塚弘も彼に憧れた
ジャズ界最大のベース奏者のひとりがレイ・ブラウンでしょう。晩年は体型が変化し、楽器が腹に引っかかって弾きづらそうで、いささか気の毒でしたが、1950年代後半から60年代前半にかけて、オスカー・ピーターソンとの一連とのレコーディングでは「これぞジャズ・ベースの究極」といいたくなるようなプレイが記録されています。
粒立ちの良い音、正確な音程(ジャズではこのくらいが上限の気持ち良さだと思います。ニールス・ペデルセンは逆に音程が鋭すぎます)、後ノリでもなく前ノリでもない、小気味よいまでにジャストなリズム感。彼に憧れたベース奏者は数限りなく、古くはクレイジーキャッツの犬塚弘から近年ではクリスチャン・マクブライドまで多士済々です。
●ロン・カーターとの対比は間違い
レイ・ブラウンが私の住んでいる町に来たのは1985年頃だったと思います。ピアノは元スリー・サウンズのジーン・ハリス(当時、ジャズ界の中央に復帰したばかりでした)、ドラムスはジェフ・ハミルトンでした。地元にはライヴハウスがなかったので、北海ホテル(というホテルがあるのです)の大広間のようなところにステージが組まれました。
なのでPAシステムが期待できないのはわかっています。だから早くから並び、できるだけ楽器のそば、生音が聴ける距離の席をとらなければ意味はありません。私は最前列、ブラウンのベースの手前に座りました。
「電化派」のロン・カーターに対して、「生音派」といわれることもあるブラウンですが、実はそうでもありません。彼は、アコーディオン奏者でアンプ・メーカー「ポリトーン」の創業者であるトミー・グミナに早くからウッド・ベース用のアンプの製作を依頼していたとのことです。60年代末には、ブラウンはポリトーンのアンプを使い始めています。
私が見たときもアンプを通したプレイでしたが、生音もしっかり聴こえたのは幸いでした。ピーターソンと組んでいた頃のようにガンガン弾くことはなくなりましたし、ビッグ・トーンの持ち主だったのは昔の話という感じでしたが、ときおり開放弦を思いっきり鳴らすことで、サウンドにメリハリをつけていることがわかりました。
●トイレから戻ると、ジーン・ハリスが
しかしこの日の私の本当の目当てはジーン・ハリスでした。なにしろ当時の日本では、彼の動向はまったく伝えられていなかったのです。「あの人は今」状態だったハリスが、目の前で演奏しているということが本当に驚きでした。
休憩中、トイレから戻ると、ジーン・ハリスが立っていました。私は拙い英語で、スリー・サウンズとスタンリー・タレンティーンが組んだ『ブルー・アワー』がいかに好きかということと、またタレンティーンと一緒に演奏してほしいということを必死に伝えました。ハリスは「それは素敵なアイデアだ」と言いました。
1987年、コンコード・レコードから『ジーン・ハリス・トリオ・プラス・ワン』というアルバムが出ました。ベースはレイ・ブラウン、そしてスペシャル・ゲストにタレンティーンが加わっていました。もちろん内容は最高でした。
ハリス、ブラウン、タレンティーン、皆、もうこの世にいません。それが私には、いまだに信じられないのです。