今年も多くの著名人が静かに旅立った。見送った人々の弔辞や追悼の言葉には、故人の知られざるエピソードや感動秘話が込められていた。俳優の藤原竜也さんが蜷川幸雄さんへ捧げた言葉を紹介する。
※5月16日、東京・青山葬儀所での告別式から抜粋
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その涙はうそっぱちだろって怒られそうですけど。短く言ったら長く言えと怒られ、長くしゃべろうとすれば、つまらないから短くしろって怒られそうですけど。まさか、蜷川さん、今日僕がここに立つことになろうとは自分は想像すらしてませんでしたよ。最後の稽古というかね、言葉で……蜷川さん、弔辞。
5月11日、病室でお会いした時間が最後になってしまうとは……ごめんなさい、本当に申し訳ないです。先日ね、公園で一人、「ハムレット」の稽古の録音テープを聞き返してみましたよ。恐ろしいほどのダメ出しの数でした。瞬間にして心が折れました。「俺のダメ出しで、お前に伝えたいことはほぼ言った。今はすべてわかろうとしなくてもいい。いずれ理解できる時が来るから」と。「そしたら、少しは楽になるから。アジアの小さな島国の、ちっちゃい俳優にはなるな」と。「もっと苦しめ。泥水に顔を突っ込んで、もがいて、苦しんで、本当にどうしようもなくなった時に手を挙げろ。その手を必ず、俺が引っ張ってやるから」と……。蜷川さん、そう言ってましたよ。
蜷川さんからの直接の声はもう……心の中でしか聞けませんけれども、蜷川さんの思いを、ここにいるみんなでしっかりと受け継いで頑張っていきたいと思います。気を抜いたら、馬鹿な仕事をしてたら、怒ってください。
1997年、蜷川さん、あなたは僕を生みました。くしくも蜷川さん、昨日は僕の誕生日でした。19年間、苦しくも……まあ、ほぼ憎しみでしかないんですけど、蜷川さんに対しては。本当に最高の演劇人生をありがとうございました。蜷川さん、それじゃ、また。
※週刊朝日 2016年12月23日号