ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「中山美穂」を取り上げる。

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 予告通り、今週は『バブル』についてです。平野ノラさんを始め、今や80年代バブルは鉄板コンテンツですが、実はずっとその定義に違和感を抱いてきました。中でも引っかかるのが、『ジュリアナ東京』をバブル期の象徴とする共通認識です。ボディコンにワンレンソバージュ、派手な扇子とお立ち台ギャル。アイテム的には充分バブリーですし、インパクトも絶大です。しかし、ジュリアナのオープンは、『バブルが弾けた』という概念が生まれた1991年であり、いわゆる『ジュリアナギャル旋風』も92年から93年にかけてのこと。依然、好景気のノリはあったとはいえ、やはりジュリアナは『バブル崩壊後』の産物なのです。私の個人的見解だと、『バブル前兆』が85年・86年。『バブル無自覚期』が87年・88年。さらに昭和から平成に変わった89年・90年が『バブル自覚期』。そして91年・92年が『バブル終焉期』となります。

 何故そんなことにこだわっているかというと、私は既(すんで)のところで、直接バブルの恩恵を受けていないから。年齢的にも物理的(当時イギリスに住んでいた)にも。しかし、大人たちを通して、海外から見た当時の日本は、紛れもなく最強でした。オトナになれば、あんなギラギラした世界で生きられるのだとワクワクしたまま、私はオトナになったのです。

 そんなバブルの変遷を、当時のトップアイドル中山美穂を通して見ることができます。まだ誰も「今がバブルだ」なんて意識もせぬまま、延々と羽振りの良さだけが続いた、まさに祭りの絶頂。それが『無自覚期』です。87年・88年にミポリンが主演したドラマは、基本的に『中山美穂』のままで『役』が成立していました。中山美穂は中山美穂以外を演じてはならなかった時代。それを疑問に思う人もいなかった時代。この意味不明こそバブルです。

 
 やがて元号が変わり、『ザ・ベストテン』が終了し、『お嬢』美空ひばりが亡くなった89年。だいぶ我に返った世間は、突如として時代を『ネタ化』し始めます。今なお『一発芸』として受け継がれている、工藤静香の『嵐の素顔』やWinkの『淋しい熱帯魚』は、いずれもこの年の曲です。あれだけ熱狂したはずの『光GENJI』も『のりピー音頭』も、一気に想い出として処理されていく中、かの中山美穂も、ドラマ『卒業』(90年)で、なんと現役女子大生を演じ、「どこかにいないかな。三上博史みたいなイイ男」などと、中山美穂にはあるまじき台詞を吐くのです。私はこれを『中山美穂・人間宣言』と呼び、『バブル終焉』の碑(えりいし)と位置づけています。そのほかも『オヤジギャル』や『24時間戦えますか』など、時代に対する自虐は激化し、遂には『渡る世間は鬼ばかり』がスタートします。

 そして91年。『東京ラブストーリー』や『101回目のプロポーズ』といった、トレンディと呼ぶには内容があり過ぎるドラマが社会現象化し、KANが『最後に愛は勝つ♪』と唄ったことで、バブルはついに終焉を迎えました。ミポリンも同年のヒット曲『Rosa』の中で『本当に転ばなきゃ何もかもわからない♪』と時代に別れを告げています。しかし彼女の場合、12年後に『パリ移住』という、もっと向こう見ずなバブルが待ち受けているのです。時代に翻弄され過ぎると、人は方向感覚を失うのでしょうか。

週刊朝日 2016年12月23日号