70年代、お茶の間を席巻した「ローラーゲーム」の東京ボンバーズ。「ローラーゲームの女王」として世間を沸かせた佐々木ヨーコさんが当時を振り返る。
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中2まで水泳をしてました。うちの小学校にはプールがなくて、よその小学校のプールでチョコチョコッとやったら泳げて、大会に出たら新記録。水泳の強い私立中学を受験して水泳部に入ったんです。ただ、不整脈で心臓に濁音があって、激しいスポーツをしてはいけない、と小学校の頃から宣告されててね。中2のとき、動悸が出て、お医者さんから「やめたほうがいい」と言われて、以来、帰宅部でした(笑)。
オーディションは興味半分で受けたんです。無料でしたし、有料だったら、私、いいわ、だったと思います(笑)。ローラースケートは友達に誘われて後楽園にたまに行って滑る程度で、ハマってた、ということはありません。当時は20歳で、美容師をしていましたから、ハマるような時間はなかったんですよ。
だから、アメリカに連れていくと言われたときはお断りしようと思ってました。英語も全くできないし、親にも、受けた、と言ってなかったし。今から54年前、海外旅行なんて、え!!という時代ですからね。案の定、親に言うとすごく反対されましたよ。だけど「危なくてダメ」と言われたら、「じゃ、行こうかな」と思ったんです(笑)。
ハリウッドにある練習場で1日8時間の練習を3カ月。厳しくて「失敗した」と思いましたけど、親の反対を押し切って来たんだから泣いて帰れないと思ってました。
(ノンフィクションライター・渡辺勘郎)
※週刊朝日 2023年2月24日号