「私は一円のお金も受け取っていません。けれども検察官は自殺者が出たことを伝えてくる。私の支持者や部下がそのような取り調べを受けていると考えると、身を切られる思いがした。メディアも当局の見立てどおりに報じるばかり。検察官の巧妙な誘導もあって、私は虚偽自白をすることで早く事件を終わらせようと考えたのです」
裁判では否認に転じ、検察側と争う。しかし、佐藤氏自身の金銭授受が認定されない収賄額0円の収賄罪で有罪となる。
「事件はあきらかに冤罪です。しかも、原発事故とは無関係ではないのです」
今回の映画制作を企画した会社社長、三田公美子氏は語気を強める。
「復興とか再生とか言いながら、国は五輪招致に浮かれ、原発事故などまるでなかったかのように振る舞っています。原発にブレーキをかけた知事を辞職に追い込んでいったありさまを思えば、福島の原発事故は起こるべくして起きたのです。私たちは事故が風化することを何より懸念しています。仲間たちが知事のもとに集まり、映画を作ろうという話がまとまっていきました」
佐藤氏は知事に就任してすぐに福島第二原発の事故に直面した。11年の福島第一原発事故から20年以上も前のことだ。事故は隠されたまま、情報は東京電力から通産省(現・経済産業省)、資源エネルギー庁を経てようやく県に伝えられた。佐藤氏が振り返る。
「地元の自治体は目の前の原発に何の権限も持たず、情報伝達も一番後回しにされたのです。こんなことがあってはならない。私は『同じ目には二度と遭うまい』と心に誓ったのです」
その後、東電のデータ改竄や事故隠しが相次ぎ、佐藤氏はプルサーマル許可を凍結。03年4月には福島県内の原発10基が全停止する事態に至る。
「私は、大手メディアから“原発を止めたわがままな知事”に仕立て上げられていきました。首都圏大停電の恐怖をあおり、中央との対立の構図が作られていったのです。メディアも検察と同根です。これが伏線となり、国策捜査へとつながっていったのだと思います」
佐藤氏の言葉を受け、この映画を監督した安孫子亘氏が語る。
「事件は、栄佐久さんを社会的に抹殺しただけでは済まない悲劇をもたらしました。映画を見て頂いた方に、この事件を裁いてほしい。そして事件がもたらした現実を直視して頂きたい」
映画の中で、事件の取り調べ時に検察官が関係者に言ったとされる言葉が、象徴的に使われている。
「知事は日本にとってよろしくない。抹殺する」
原発事故の責任は誰が負うべきなのか。その答えのありかを、この映画は暗示している。
※週刊朝日 2016年12月23日号