アート・ペッパーは今も人気の高いミュージシャンのひとりです。
CD売り場に行けば「アート・ペッパー(Art Pepper)」という仕切りがあって、中にいくつものアルバムを見つけられるはずです。そして、皆さんはそのほとんどが1950年代に録音されたものであることに気づくに違いありません。
が、ペッパーがまだ生きていた70年代後半から80年代初頭にかけて、まだCDメディアの到来など予想だにしていなかった頃は、そうではありませんでした。とにかく彼の新譜LPがやたらと出たのです。年に4、5枚はリリースされていたのではないでしょうか。雑誌でも大評判、広告もドバーッと出て、ペッパー自身も77年以来、毎年来日して各地のコンサート・ホールを満員にしました(外国人が登場して引き合うジャズ・クラブは、当時、皆無に近かったのです)。まさにペッパー・ブームです。
この降って湧いたような人気には様々な理由が考えられますが、70年代半ばまでの日本のジャズ・ファンにとってペッパーは“幻の人”だったことも大きいと思います。それはなぜか。簡単にいえば1960年代のほとんどをライヴやレコーディングではなく、刑務所や療養所で過ごしたためです。15年ぶりの新作『リヴィング・レジェンド』が登場したのが1976年のこと。しかし「来日公演は不可能だろう」というのがファンの間での共通見解でした。
しかし、ペッパーはやってきました。往年のジャズ喫茶で黒人勢のアルバムに混じって盛んにリクエストされたという名作の数々のジャケットを飾った二枚目ぶりが既に失われているのは仕方がないにしても(相当な歳月が経っているのですから)、プレイもまた50年代とは大きく変わっていました。「獄中で聴いたジョン・コルトレーンのレコードに感激し、自分の奏法を見直した結果」だというアルト・サックスの音はダーティで、フレーズのはしばしに“ピーッ”、“ギーッ”という悲鳴のような響きが混ざります。
ファンの間では意見が分かれ、雑誌では論争も巻き起こりました。「昔のペッパーは良かった。美しい音を出していた」というひと、「今のペッパーこそ最高。だいいち昔と同じことをやっていても意味がないじゃないか。辛酸をなめた男の年輪が感じられる、今こそベストなのだ」というひと、その両者が、親戚でも恋人でもなんでもないアメリカ出身のサックス奏者について愛に溢れた意見をぶつけ合うのです。
ジャズ界って熱いところなんだなあ、と、当時まだ“つ離れ”していない(つまり9歳以下だった)私は思いました。
<つづく>