「私がデビュー前に家を訪れて挨拶したのは3人目のお母さんでした。普通に仲のよい親子でした。お父さんは家にはおられませんでしたが、法子を可愛がっていたようです。しかし歌手デビュー3年目に交通事故で突然、亡くなった。葬儀委員長は相澤が務めました」
父親が事故で亡くなったのは法子が18歳だった89年だ。山梨から東京の法子に会いに行った帰り、中央自動車道で事故に遭い、車内には法子の新曲のカセットが残されていた。
法子の父親の事故は「怪死」ではないかとの臆測も飛び、その通夜には故・梨元勝氏など芸能リポーターが殺到した。
「まだ18歳でしたし、法子の心情を考え通夜は皆さんに帰って頂いたんですが、翌日の告別式で『一言、一言』とまたリポーターの方々が押し寄せたので、棺の釘を打った後、ひきはがすようにしてカメラ前に連れていったんです。すると法子は、どんな質問にも毅然と答えました」
リポーター:亡くなったお父さんに何かしてあげたんですか?
法子:今朝、自分でご飯を炊いてみそ汁を作って、お父さんのところに供えました。
リポーター:そのときお父さんに何か言いましたか?
法子:父は一度も歌を褒めてくれたことがなかったので、一度くらい褒めてくれてもいいじゃないって言って、歌を歌ってあげました。
福田氏は言う。
「リポーターも感心して、それ以上何も問い詰めませんでした。それほど賢くしっかりした子だったのですが……」
法子は98年に結婚、ママとなり仕事もプライベートも充実して幸福になった、はずだった。
だが、2009年8月8日、その夫(当時)と同じ覚醒剤所持容疑で逮捕されてしまった。その後法子は、契約解除となったが、13年5月に死去した相澤氏の通夜には参列した。
「出来の悪い娘でした」と霊前で詫びたという。(一部敬称略)(本誌・藤村かおり)
※週刊朝日 2016年8月19日号