African Breeze / Dollar Brand (Universal [East Wind])
1964年以来の猛ラッシュとなった1973年からジャズ・ミュージシャンの来日は増加の一途を辿った。もちろん、年によって大物率の高低はあったわけだが。諸外国のジャズ・ミュージシャンにとって、東アジアの小島が世界でもトップクラスの稼ぎ場所になるとは思いもよらないことだっただろう。
1974年も前年を超える33人/グループが来日した。楽器名抜きでもわかりそうな大物だけあげても、1月にキース・ジャレット、オスカー・ピーターソン、アート・ブレイキー、2月にチック・コリア、「サド・ジョーンズ=メル・ルイス・オーケストラ」、3月にビル・エヴァンス、4月に「モダン・ジャズ・カルテット」、「スタン・ケントン・オーケストラ」、5月にドン・チェリー、ゲイリー・バートン、7月にフランク・シナトラ、ハービー・ハンコック、9月にセシル・テイラー、11月に「クルセイダーズ」、「アート・アンサンブル・オブ・シカゴ」らが来日、前年と遜色なかった。
13人/グループが来日中に19作を残している。4人/グループの6作がライヴ録音で10人/グループの13作がスタジオ録音だ。後者に来日ミュージシャンだけで録音されたアルバムは3作しかなく、あとは日本人ミュージシャンとのコラボ作(リーダー作/コ・リーダー作/サイドマン参加作)だ。変わり種にクリス・ヒンゼ(フルート)が山本邦山(尺八)ほか、邦楽の大物と組んだ3作がある。ライヴ録音の6作からCD化されていないナンシー・ウィルソン(ヴォーカル)作、シダー・ウォルトン(ピアノ)率いるトリオが助演した和ジャズの笠井紀美子作、渡辺貞夫作は外し、ダラー・ブランド(ピアノ)作、サド=メル・オーケストラ作、ウォルトン作を候補作としたい。まずはダラーの『アフリカン・ブリーズ』を、次にサド=メル・オーケストラの『ライヴ・イン・トーキョー』をとりあげる。ウォルトンの『ピット・イン』をとりあげるかどうかは追って検討したい。
ダラーの出世作『アフリカン・ピアノ』(1969年10月/JAPO)が日本に上陸したのは1973年の夏だったと記憶するが、それからというもの行く先々のジャズ喫茶でかからない日はなかった。暑い盛りにJBLパラゴンあたりで執拗な反復を伴う強靭なソロ・ピアノを聴かされては良くも悪くも汗が噴き出たものだ。ダラーは「一世を風靡した」とも言えるブームの真っ最中に初来日を果たしたのである。しかし、馴染みの薄い南アフリカ出身で新人も同然だったピアニストの、しかもソロ公演が大きなホールで催され、それが結構な入りとなったのだから、その頃のジャズ・ファンの直向きな熱意が窺えるというものだ。本作はツアー(2月9日~23日)の終盤に東京で収録された。『アフリカン・ピアノ』と同じだという暴論があるがそれは違う。好意的な聴衆を前にしたせいか実におおらかで、岩盤のようなピアニズムとの対峙を強いられる前者よりはるかに手が伸びやすい名盤だ。
ステージは「アフリカ・パート」と「リフレクション・パート」で構成された。冒頭の《ニム・ヴルラ》《ムサンドゥザ》は竹笛による素朴な小品で、大地を駆け巡る風の声を思わせる格好の導入になっている。次いでピアノに転じ佳品《サラーム》をサラリと流し感動巨編に誘う。その《エンシャント・アフリカ》では黒く熱いピアニズムを全開にして力感と華やぎに満ちた歓喜の歌にグイグイ引き込む。前後に配した《サラーム》が同曲のスケール感を高めた。「リフレクション・パート」に移って、エリントンの《バラの一束》《カム・サンデイ》、モンクに捧げた《モンク・フロム・ハーレム》という普通の演奏をダラーで聴くこともなかろうという意見もあるが、巨人の精髄を体得した立派な演奏だ。《チェリー》《アフリカン・サン》《ティンティンヤナ》で再びアフリカ魂を見せつけ、快ライヴは幕を下ろす。『アフリカン・ピアノ』を避ける方にこそ聴いてほしい快作だ。
【収録曲一覧】
1. Nim Vlula (The Rain Song)
2. Msunduza
3. Salaam (Peace)
4. Ancient Africa
5. Salaam (Peace)
6. Single Petal Of A Rose
7. Come Sunday
8. Monk From Harlem I
9. Cherry
10. African Sun
11. Tintinyana
Dollar Brand (p, bamboo flute)
Recorded At Yubin Chokin Hall, Tokyo, February 21, 1974.