その店は、大阪南の玄関口、天王寺の交差点にあった。どうやって見つけたのか、よく憶えていない。地下に降りる階段には、いたるところにミュージシャンの切り抜き写真やポスターが貼られ、入り口のドアからはサキソフォンの咆哮が漏れ聞こえてきた。
「MODERN JAZZ トップシンバル」そこは、わたしの青春のジャズ喫茶だった。
よくもまあ、あんな恐ろしい店構えの喫茶店に入る勇気があったものだ。若かったのだろう。本格的にジャズをものにするには、「バンビー」のような大人しい店だけではダメだ。もっと大音量で、もっと激しく、もっと過激なジャズを聴く必要があると感じたわたしは、なかば肝試しのような気持ちで、「トップシンバル」のドアを開けた。
耳をつんざく、暴力的なまでの大音量。「私語厳禁」とは書いてなかったが、これで話しができるはずもない。できるだけ2本のスピーカーから遠い席に腰掛けると、少しアート・ペッパー似のマスターが注文を訊きに来た。「何にいたしましょう?」なんて言うでもなく、「ジロリ」と睨んで耳をそばだてる。
「アメリカンください」
聞こえたのか?いや、口の動きを見て見当をつけたようで、無事にアメリカンらしきコーヒーが運ばれてきた。
狭い店内には先客があり、居眠りしてるのかずっとうつむいている人、漫画を読む人、写真雑誌をめくる人など。なるほど、ジャズ喫茶では、こんなふうに過ごすものなのか。
ならばわたしもと、マガジンラックに雑誌を取りに行ったら、「らくがき帳」と書かれた大学ノートが置いてある。そうか~、話しができないから、こうやって筆談でコミュニケーションをとるのだな。
書いてある内容はさまざまで、何やら哲学的なものから、他愛もないらくがき、アルバート・アイラーに、「南無阿弥陀仏」がどうしたこうしたまで。せっかくなので、わたしも1ページほど何か書いてみた。「トップシンバル」は、新世界のすぐ隣に位置するが、文字通り新しい世界に仲間入りしたようで、なんだか少し誇らしかった。
それから、休みの日には「トップシンバル」に立ち寄って、轟音のジャズを浴びつつ、らくがき帳に書いては時間を潰すようになった。自己紹介だったり、時にはマスターの似顔絵だったり、短編小説のようなものだったり、彼女にふられてグズグズ泣き言を書いたこともあったっけ。
時折ジャズについて論争をしかけるような書き込みもあったが、当のマスターは、らくがき帳には一切登場することはなかった。そもそも、「マスターはらくがき帳を見てるか、見てないか?」と、帳面上で議論が巻き起こったほどである。見てるに決まってるやろ(笑)
あれだけたくさんレコードがあるというのに、行くたびに同じレコードがかかることも多かった。きっとマスターは、客の好みそうなのを選んでかけてたに違いない。
わたしが行ったときには、ベニー・ゴルソンの『ゴーン・ウィズ・ゴルソン』がよくかかった。初心者だから、きっとわかり易くてカッコいいジャズが良いと思ったのだろう。
当時、「トップシンバル」では、英国の“ガラード401”というプレーヤーを使っていて、アイドラードライブで音の立ち上がりが鋭く、レイ・ブライアントのブロックコードがガーン!と鳴るのにしびれたものだ。
物言わぬマスターは、かけるレコードとサウンドで主張した。そこがカッコよかった!尤も、大音量だから喋らなかっただけで、じつはペラペラペラペラとよく喋る気さくな人だとわかったのは、ずっと後になってからのこと。
わたしが独り立ちして「ジャズの聴ける理容室」を開業した1988年ごろから、すっかり「トップシンバル」から足が遠のいていたが、ついに一昨年(2008年)、30年あまりの長い歴史を閉じた。青春の思い出が綴られた、あのらくがき帳は、もうない。
【収録曲一覧】
1. スタカート・スウィング
2. 枯葉
3. ソウル・ミー
4. ブルース・アフター・ダーク
5. ジャム・フォー・ボビー
6. ア・ビット・オブ・ヘヴン