
2016年5月1日、「公害の原点」ともいわれる水俣病の公式確認から60年を迎える。還暦を迎えた胎児性・小児性患者の「今」と「昔」を、写真家・小柴一良さんが追った。
1974年初夏、26歳の小柴さんは熊本へ移住し、水俣病を記録し始めた。漁村や人を写すなか、惹(ひ)かれていったのは自分と同世代の胎児性・小児性患者たちだった。
「年齢が近いので、被写体というより友情が芽生え、飲み会やキャンプに行ったりもしました」
あれから約40年。彼らが還暦を迎えたら、記念のポートレートを撮ると約束した。旧知たちは年を重ね、車いすを使うようになった。親も亡くし、自分一人になる孤独や恐怖感はどれくらいだろうと慮(おもんばか)る。
だが、そんな今だからこそ、小柴さんが撮りたいのは、「笑顔」だった。
「これからの人生や生活は、笑顔の時間を多く持ってほしいと思っています」
環境省によると、2千人以上が認定を求め申請中で、さらに千人以上が裁判で被害を訴えている。小柴さんは、生涯水俣を撮り続けようと思っている。
※週刊朝日 2016年4月29日号