妻:写真もホテルの人と、雑誌社のカメラマンとね。

夫:結婚式から新婚旅行まで密着取材させてほしいってことで。こっちは費用が浮くなら何でもいいや、どうぞどうぞ、ってね。

妻:結婚式からちょうど1年後に長女が生まれ、その翌年には長男。それから4年おいて、次男。

夫:3人目の臨月近くまで、あなたも舞台に立ってたね。

妻:さすがに、それ以降はもう仕事どころじゃなくなりましたけど。

夫:僕があまりに忙しくて、何もかもまかせっきりでしたしね。地方公演も多いし、家にほとんどいられなくて。

妻:男の子はやんちゃですからね。それはもう、毎日怒鳴りまくってましたよ。

夫:僕のほうも、舞台、映画、テレビ……それにあの、タイムショックが始まった。せいぜい、ワンクール(約3カ月)ぐらいでクビになるだろうと思ってたんです。そしたら、先代司会者の田宮二郎さんから引き継いで間もなく、紀伊国屋ホールの楽屋に、タイムショックのプロデューサーが真っ青になって飛んできて、田宮さんが亡くなったと。ショックでねえ。

妻:あなたもやめようとしたのよね。

夫:今でこそ話題にできるけど、当時はすごく重荷を感じました。僕も降板させてもらいますと。そこを何とか、って説き伏せられて、結局8年、務めたけど。

妻:当時は子どもたちも動揺してましたね。世間じゃものすごいニュースだったし。「お父さんも田宮さんみたいになっちゃうの? 死んじゃうの?」って。

週刊朝日  2016年4月15日号より抜粋

暮らしとモノ班 for promotion
大谷翔平選手の好感度の高さに企業もメロメロ!どんな企業と契約している?