「でも私は、たとえ自分の中にはっきりとした答えがある場合でも、主張しないようにしているほうなんです(笑)。芸術家は、人から熱烈に応援されると、自分が権力者であるような錯覚に陥りやすい。そうなってはいけないと思うので、自己検証は怠らないようにしています」

 映画を撮るようになる前は、パリでアートの勉強をしながら、自ら絵を描き、同時にストーリーを想像する生活を送っていたという。

「映画を作るときは、いつも最初にイメージがあるんです。今回の映画では、釘の刺さったこん棒のシルエットが、頭の中にまず浮かびました。韓国でも拷問をするとき昔から使われてきたもので、見るだけで痛くなるでしょう?(苦笑) 映画作りは視覚的なイメージから、極大化した感情を伝えていく作業でもあります。私は、人間たちの哀しみや痛み、どこから来るのかわからない理由のない苦痛を癒やすものが映画ではないかと思っていて、今回はこのこん棒がその“苦しみ”や“痛み”を象徴するビジュアルになりました」

 韓国の映画監督の中では、世界的にもっとも名前の知られているキム監督だが、

「韓国では興行的に成功したこともないし、大きな予算の映画を作ったこともない。韓国社会で、私はとても孤独です」と苦笑いする。「大きな制作費で監督を依頼されたこともあります。でも、私の映画には大金の必要も、有名俳優をキャスティングする必然性もなかった。なぜなら、私の映画は貧しい人たちを慰め、権力者たちに警鐘を鳴らし、痛みを感じる人たちに勇気を与えるものであればいいと思うからです」

週刊朝日 2016年1月15日号