A氏に会って聞いた話と資料を総合してわかったのはこういう経緯だ(細部は違うかもしれないが、大筋では合っているはずだ)。柏原藩織田家は、藩主が代わるたびに一族から一人、安土のそう見寺に住職を出していた。織田家出身の最後の住職は明治維新で寺を失い、還俗(げんぞく)し、やがて養子を迎えて親子で樺太に渡った。その子は長じて何度か結婚し、数人の子をもうけるが、その一人は養父母に育てられ、姓も変わり、織田家の血筋であることを知らずに生きた。彼が偶然、出自を知ったのは、60歳も過ぎてからだったそうだ。この人の長男がA氏である。

 劇的ではあるが、宗家を名乗るのは無理な話である。また偶然、私の父(故人)がA氏と同姓同名なため、私としては混同されるのも迷惑だった。そんなわけで私は「織田宗家」はやめてほしいと頼み、彼は宗家や当主を名乗らないと約束した。以来、彼と交流はない。

 ところが、である。先日、ネットを見たらこのA氏、「織田廟宗家13世」と名乗り、安土に過去の神社を再建すべく、会を作り、会員を募って会費を集めている。またまたびっくり、である。「織田宗家」でなく「織田廟宗家」だからいいでしょ?ってことなのだろうか。しかし家系名を創作するというのはまずいんじゃないかと思う。

 大名系織田家は現在4家あるが、いずれも、この人やその活動とは関係がない。しかし世間からは織田家というだけで一緒に見られそうで気が重い。友人は「有名税」だと笑うが、有名なのは信長公で私ではない。困ったものである。

※そうの字は、手偏に「総」の旧字体のつくり部分

週刊朝日 2015年9月18日号

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