店内のBGMとしてジャズをかけるのには、もちろんお客様に聴いてもらうということでもあるのだが、もうひとつ、スタッフの士気を高めるという隠れた効用もある。
面白いもので、チンタラしたジャズを流していると、店にいるスタッフの動きもチンタラしてくるが、ビシッとしたジャズをかけると、スタッフもビシッとして、手際もテキパキとしてくる。ようは音楽に乗せられてしまうのである。
一日10~12時間の長丁場で仕事を続けていると、少しの気持ちの緩みが数分仕事を遅らせ、その遅れがまたさらなる延滞を呼ぶという悪循環が起きてしまい、そのストレスから疲労感も倍化する。やはり仕事はキチッキチッと、できるだけ時間内に収まるようにもっていきたいものだ。
こういうとき重宝するのは、なんといってもマイルス・デイヴィス。アップテンポの曲なら動きも速くなり、スローな曲だと動きもゆっくりになるだろうことは、容易に想像がつく。しかし、マイルスのバラードは空気がダレないから、スタッフの仕事能率がまったく落ちない。
アップテンポの『フォア・アンド・モア』だと、早送りのように忙(せわ)しないから、一見ゆるやかな『マイ・ファニー・バレンタイン』をかける。マイルスの吸引力で音楽に引き込まれ、「オール・オブ・ユー」がかかるころには、いつの間にかスタッフ全員が乗せられてしまっているというわけだ。
そうそう、『マイ・ファニー・バレンタイン』といえば、「ステラ・バイ・スターライト」の冒頭で観客が叫ぶ「ぎょえぇぇぇぇぇぇええええええ」が有名だが、当店の常連さんが自宅リビングでこの曲をかけてたら、一緒に聴いていた奥さんが、この叫び声にビックリして泣き出してしまったそうだ。
子供ならばともかく、いい大人の女性が、CDに収録された叫び声で泣き出すなんてちょっと信じがたい話だが、それだけグワーッと引き込まれて、魂を鷲づかみにされた状態で「ぎょえぇぇぇぇぇぇええええええ」とやられたら、やはり感極まって泣いてしまうんだろうか。
それにしても、このリズムセクションの見事なこと。御大マイルスのバックで、押しては引き、引いては押して、変化をつけたり、止まったかと思うとまた走り出す。それら一つ一つのフレーズに反応して起きているからまたすごい。これに釣られるのである、スタッフが(笑)
いや、冗談ではない。すごい音楽というのは、本来こう、奏者の真剣さがビリビリと伝わってきて、催眠術にかかったように身体を動かす強大なパワーを持っているのだ。
『マイ・ファニー・バレンタイン』は、音じたいに力があることも特筆すべきところ。たんなる録音の良し悪しではなく、音にパワーが乗っかってるのだ。だから、音量を下げてもしっかり聞こえるし、内容がいいから逆に聞き耳を立てるようになる。
音が良いことはもちろん重要なのだが、内容がいいことはもっと重要。リスナーが聞き耳を立て、傾聴に値するライブ盤として、本作をゴリゴリにお薦めしたい。連休ボケで調子が出ないときや、気分のすぐれないときにもどうぞ。