作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。1930年代の「空気」を調べる機会があったという。

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 夏休みを兼ねてドイツにきている。ケータイが全く通じない山奥のホテルでサウナに入っていたら、ラジオから「ヒロシマ」「ナガサキ」「アベ」という声が聞こえてきた。

 え? なになに? とドイツに20年以上住む友人に聞くと、「ヒロシマで非核3原則に触れなかったアベ総理に批判が集まり、ナガサキでは非核3原則に触れました」というニュースだった。

 地元の高齢者に好まれている懐メロ中心ののんびりしたラジオ局でも、朝のニュースでヒロシマ、ナガサキ、アベのことをキッチリ流すのが、ドイツなのだ。

 日本での生活に慣れていると、ドイツの「不親切」さには、笑ってしまうものがある。駐車場の精算機でおつりが出ないの当たり前、ラップがスッキリ切れないの当たり前、電車が遅れるの当たり前。でも、あまりストレスを感じないのは、例えば田舎のラジオ局でも、当たり前のようにヒロシマ・ナガサキのニュースが入ってくる社会だからかもしれない。つまりは「人間が生きる上で大切な情報」がきちんと提供される信頼を社会に感じられるのだと思う。

 8月のドイツは、ヒロシマ・ナガサキの報道が多く、また原子力に反対するデモや集会が各地で行われている。私は二つの集会に参加した。

 
 大聖堂で有名なケルン市では、8月5日の夜に、ドイツ人を中心に100人以上の人が集まり、公園の池で原爆犠牲者を悼み、灯籠流しをした。6日にはサッカーの香川真司さんが活躍しているドルトムント市で、平和デモと集会が行われた。集会は市庁舎内で行われ、市長も壇上に立ち、「原発と原爆実験の廃止を」とハッキリと言っていたのが印象に残った。原爆だけではない、原発も、私たちは手放すべきなのだということを、8月6日に明言できる日本の政治家は、果たしてどれくらいいるだろう。

 8月6日と9日。この日を人類の問題として世界中が語るべきなのだということを、ドイツにいると、あたり前のように実感できる。原発再稼働してる場合じゃない。

 ドルトムントでの集会が終わった後、近くのスポーツバーに入った。ここは移民がとても多い街で、歩いていると様々な文化圏の人とすれ違う。恐らく軋轢(あつれき)もあるのだろう、スポーツバーで出されたコースターが素晴らしかった。香川さんが所属するサッカーチームの広告を兼ねたコースターには、ハッキリとこう記されていた。

「人種差別主義者に出すビールは、ねぇ!」

 ああ、ドイツいいねぇ。生きてる人に優しい国! 命を基準に理屈が通る国!日本と違ってヘイトスピーチを許さない国! と絶賛してたら、友人が言う。

「でも、不便だよ。電車乗ったら、『15分遅れるはずだったけど、頑張って走ったから5分早くつきます』って、車掌が威張ってアナウンスするような国だよ~」

 いいじゃん、ドイツ。

週刊朝日 2015年8月28日号

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