それが、「おわび」や「侵略」の表現について国内外から批判され、最後は詰将棋で王を取られるような形で両方ともいちおう談話に入るには入りました。最初からきちんと「おわび」や「侵略」の言葉を入れることを前提に発表していれば、国内外への印象は大きく変わったと思います。問題はこの安倍談話の精神が今後、どういう形で具体的に実践されていくかで、私たちはそれを注視していかなければなりません。
──安倍談話は疑いの目で見られたのでしょうか。
率直に言えば、安倍さんに対する信頼が低くなっていることが原因です。8月6日に開かれた広島での「原爆の日」の式典で、安倍さんが非核三原則について言及しなかったことで、何か真意があるのではと疑われました。すると、9日の長崎での式典では一転して言及する。いま、安倍さんは何を言っても疑われる。そういう立場になったことを自覚しなければならない。国内ですらそうだから、外国からはなおさらです。安倍さん自身は村山談話を引き継ぐと何度も言っているのに、それが外国にしっかりと伝わっていない。
──現在、参議院で審議中の新しい安保法制についてはどう思いますか。
今国会での成立は見送るべきです。合憲か違憲かという基本的問題に、いまだ決着がついていません。今回の安保法制は、憲法の精神を超えているところが最大の問題です。国会での一番大事な論点は合憲か違憲かです。どこで決着をつけるのか。本来は最高裁が判断するけれど、国会審議中のものには最高裁は判断しない。以前は内閣法制局長官が出てきて判断すると、野党も引き下がることもありましたが、今は絶対に引き下がりません。
なぜかというと内閣法制局長官が政治的信用を失ってしまったからです。安倍さんが自分の主張に近い人を据えたときから内閣法制局は中立ではなくなってしまいました。行司役がおらず、いくら合憲と言っても社会が認めません。どうするか。もちろん憲法学者は譲りません。決着をつけるには一度、法案を引っ込めるのが一番いい。違憲か合憲かの議論に決着をつけてから、憲法に沿った内容の法案を出すべきというのが私の意見です。
(構成 本誌・西岡千史、長倉克枝)
※週刊朝日 2015年8月28日号より抜粋