時代物の名作で今でも人気のある「義経千本桜」。次世代を担う文楽太夫の一人、豊竹咲甫大夫さんがその魅力を紹介する。
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突然ですが、愛媛県の内子町に芝居小屋があることをご存じでしょうか? 県中央部に位置する内子町は、古くは和紙と木蠟の生産で栄えた町。そんな経済的な余裕から、大正五年、町民によって内子座が建てられました。
毎年八月、私たち技芸員は内子座で文楽公演を行います。大阪の国立文楽劇場をはじめ、人形浄瑠璃を上演する劇場の設備はどんどん近代化していますが、内子座は創建当時から変わらない木造建築。技芸員の汗がかかるほど舞台と客席の距離は近く、升席に座布団を敷いて文楽が観劇できるのはここだけ。照明を極力抑え、特産の和蠟燭であかりをともしますので、昔ながらの情緒のなかで人形浄瑠璃を楽しめます。
そして今年は、内子座が国の重要文化財に指定された記念すべき年。文楽公演では、義経千本桜のすしやの段を上演します。
義経千本桜は五段形式の時代物の名作です。すしやの段はその三段目。元来、三段目というのは五段形式のなかで一番重要な場面ですが、すしやの段には義経も静御前も出てこず、吉野の千本桜の景色もありません。いがみの権太とその家族をめぐる脇筋ながら、今日でも大変な人気曲です。
舞台は、奈良・吉野の釣瓶鮓屋(つるべすしや)。そこに源平の合戦で敗れた平維盛(これもり)が名を弥助と変えて匿(かくま)われていました。