コンプリート・サタデイ・マイルス・アット・フィルモア:マルチトラック・マスター・セパレート・ヴァージョン
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セパレート・ヴァージョンはなんと3枚組!+還暦ご報告
Complete Saturday Miles At Fillmore Multitrack Master Separate Version (So What)

 今回は「土曜マイルス」の3種類目にあたるセパレート・ヴァージョンを軽くご紹介したのち、先日「いーぐる」で行なわれたワタクシメの還暦パーティーの席上でお配りした小冊子に掲載された原稿をご覧いただきたいと思います。みなさまへの感謝の気持ちを込めて、このコーナーのマイルス者のみなさんにも読んでいただければと思いました。公私混同をお許しください。

 まずセパレート・ヴァージョンから。これは前回の「水曜マイルス」でも登場した超マニアックなヴァージョンだが、要はミュージシャン別、楽器別により詳しく、根掘り葉掘りフィルモア・セッションを味わい尽くそうというもの。今回も前回同様の処理が行なわれているが、どういうわけか3枚組に拡張され、さらに詳細なセパレート作業が行なわれている。組み合わせはチック・コリアとキース・ジャレットの2人。ジャック・デジョネットとデイヴ・ホランドの2人。センターにアイアート・モレイラ、左右にマイルスとスティーヴ・グロスマンの3人という3パターンで構成されている。たっぷりと堪能していただきたいと思う。

 それでは還暦記念小冊子に寄せた原稿を以下にノーカットで掲載させていただきます。タイトルは「アイタタタのカンレキ・イヤー」そして副題は「60歳の年に起きたこと、考えたこと、思ったこと」になります。ちょっと長いですが、よろしくお願いします。

 5月でカンレキになった。「還暦」ではなく「カンレキ」と書きたくなってしまうのは、事実を受け入れたくないという意識が強くあるからだろう。できるだけ軽く受けとめたい。そのためにはカタカナがいいだろうという発想がすでに弱っている証拠かもしれない。

 このトシになって新しい友だちができるとは思ってもいなかった。だから紹介されたときは名前が聞きとれなかった。「タハツセイカンセツエンです」。はあ?

 もう一度聞いてようやく理解できた。「多発性関節炎」。フーン。それでぼくはどうなるの?

 2月だった。両膝が痛くなった。たまたま前日スクワットをがんばりすぎたため筋肉痛でも起こしたのだろうと思った。次に肩から肘にかけて痛くなった。この時点で両手両足の指先にピリピリと電流が走る感覚があった。うーむ。今度は両手の指が腫れ、手首にむくみがみられるようになった。ここに至って両膝、両肩、両肘とそれらの周辺がアイタタタ状態となる。体内のどこかで何かが燃えている火照った感じ。まいったな。やがて足首も腫れ、まあそのうち治まるだろうと思っていたら、時計のベルトがとめにくくなり、靴が履き辛くなってきた。見たら足の甲が腫れている。おいおい。

『かんちがい音楽評論』(彩流社)という本でいろんな人の悪口を書いたから罰が当たったんだな、たぶん。その本が出たのが1月、そして2月に『LAジャズ・ノワール』(河出書房新社)が出た。今年はこれ以上は無理だなと観念した。両手の指が腫れた程度で、パソコンのキーは打てるのだから、まあなんとかなるだろうとは思ったが、鬱陶しくてしようがない。本なんか書く気になれないぜ、ったくよお。たまたま前に出した本が何冊か増刷になり、数日間だけ強気になれたせいもある。

 3月、駅前の整形外科医に行った。各部のレントゲンをとり、採血し、のちに告げられた病名が「タハツセイカンセツエン」だった。原因は不明。母方のおばあちゃんがリウマチに苦しみ、指の骨が変形していたと伝えると、「そういうことが遠因の可能性もある」と言われ、落ち込む。よく知らないけど、リウマチって怖い病気なんじゃないの? カンセツエンとリウマチはちがうの? 薬を処方されたがまったく効かず、やがてアイタタタ、アイタタタの日々がやってくる。そんなことになるとは知らず、「適度に運動をしてください。それから冷やさないように」という医者の声を尊重し、それまで通っていたフィットネスクラブを辞め、ちょっと遠くて高いが温泉付きのフィットネスクラブに入会する。単純だなあ。

 新しい友だちは、粘りのあるがんばり屋だった。薬をはねつけ、ぼくに愛の鞭を振るうのだった。いちばん痛かったのは両膝だ。便器から立ち上がるときが辛くて痛くてアイタタタ。階段の上り下りも億劫になり、床でも椅子でも一度座ると立つのが怖くなる。おお、朝起きたら両手がこわばっているではないか。いまジャンケンしたら「パー」しか出せない。困ったな。がんばって「グー」までもっていこうとするが痛くて「パー」と「グー」の間くらいまでしか握ることができない。髪の毛は洗いにくいし、箸は持ちにくいし、洋服の着替えもままならない。缶コーヒーが開けられなかったときは落ち込んだ。駅前の病院、大丈夫なのかなあ。

 医者に窮状を訴えると、どうも薬が効くよりも先に症状が先行しているらしい。再び採血(炎症部門がとんでもない数値を記録していた)。「これを飲んでください」と渡された小さいピンクの粒を飲むと、翌朝、足首と手首の腫れが少し治まった。その日の朝、医者から電話がかかってくる。「どうでした?」「少し治まった感じがします」「よかった!強い薬を出したので心配していました」。何飲ませたんだよー。しかし医者から家に電話がかかってくるなんて、おかしくないか。そんなに重病だったの? タハツセイカンセツエンって、ぼくが知らないだけで、ヤバいの?

 問題は、腫れやむくみが相手にわからない程度に一進一退をくり返していることだ。各所の痛みも我慢すればなんとかなる。食欲も衰えず、多少の痛みやシビれに耐えれば運動にも支障ない。つまり客観的には健常者以外のなにものでもなく、ある程度容態を知っているはずの家人ですら同情してくれない。同情が買えない病人ほど情けないものはないが、ウジウジしていてもしようがないので仕事に集中することにした。両手のこわばりは治っていないが、ちょうどキーが打ちやすい角度でカパッと開き、しかも一定のカタチを保っている。机に長時間座っていれば、アイタタタと椅子から立ち上がる回数も減るだろう。要するに「仕事をしろ」ということだなと腹を決めた。

 去年の後半あたりから、周囲で「来年はビートルズのデビュー50周年だね」という声が聞こえるようになった。そのときは「フーン」と思った程度だったが、今年に入り、その「50年」が自分の音楽歴そのものであることに気づき、すでに決まっていた企画の方向性を若干変えて『さよならビートルズ』(双葉社新書)という本を書いた。出版は少し先だったが、この原稿を先に書きたい気持ちが勝った。これは問題なく書けた。日頃から原稿は速いほうだが、さらに速く書けた。そりゃそうだろう、ずっとパソコンの前に座って両手をキーの上に乗せているんだから。がぜん燃えてきた。身体のなかもまだ一部燃えてるけどね。

 集英社インターナショナルの佐藤信夫さんに会うことにした。年賀状で3年連続して「何か企画あったら知らせてください」と書いてくれていたのに返事も出さず、不義理と知りつつ放置していた。病気になると、こういうことが妙に気になってくるものらしい。渋谷で会って以下のような話をした。

 数年前に『ビートルズとアメリカ・ロック史』(河出書房新社)という本を出した。アメリカはロックンロールを生んだが、ビートルズのアメリカ上陸とそれにつづくイギリス勢の存在がなければロックを生むことはできなかったという視点で、60年代の米ロック史をまとめた。これがそこそこうまくいったようで、今度イギリスのロック史をまとめることになった。ビートルズがイギリスを留守にしたと仮定し、ではその留守を守ったのは誰か。ローリング・ストーンズしかいない。イギリス、ストーンズ、60年代となると象徴的な人物は自動的にブライアン・ジョーンズになる。だから最近はブライアン時代を含めストーンズを聴き返しているが、その本はエピソードや証言が中心なので個々のアルバムや曲に触れることはあまりできない。そこで佐藤さん、ストーンズのアルバム紹介本、いかがですか。そして『ローリング・ストーンズを聴け!』を書くことになった。

 新しい友だちは去っていったが、ふいに帰ってくることがある。「ほぼ完治」の「ほぼ」が消えたり点いたり。通院生活も半年が過ぎ、いまは2週間に一度、ピンクの薬をもらって帰る。温泉は効果がわからず、近場のフィットネスクラブに移った。この6年ほどは週に2回から3回フィットネスクラブに通っているが、「今日は300キロカロリー落とした。よしっ250キロカロリーまで食べてもいいんだな」と考え忠実に実行しているからヘンな体型になりつつある。今年はたぶん6冊から7冊くらい出すことになるだろう。例年より少ないのは、やっぱり萎えたせいだ。それでもこのご時世にありがたいことだと思っている。ぼくが最初に憧れた洋楽雑誌『ミュージック・ライフ』のシンコー・ミュージックから初めて本が出せるのも(11月予定)、『小説現代』という分不相応な雑誌で連載が決まったのも(11月発売号からの予定)、きっと誰かがどこかでぼくを支えてくれているからだ。

 アイタタタが峠を越した6月ごろ、後藤雅洋さん、村井康司さん、田中ますみさんから「60になったでしょ、還暦祝いやろーやろー」と言われた。えーっ! マイルス・デイヴィスの「ジャズという言葉は使わないでくれ」の「ジャズ」を「カンレキ」に置き換えたくなったが、やがて比嘉研さん、林建紀さんが実行部隊に加わり、いっきに実現に向けて加速した。ぼくは、自分に対してそのように思ってくれる人たちがいることに初めて気づかされた。

 そのわりにはワガママな態度は変わらず、当初予定されていたホテルの会場を無理を言って「いーぐる」に変えてもらったりもした。だってジャズ喫茶がぼくの故郷なんだし、ホテルで還暦祝いなんてカッチョ悪いじゃないですか。うまく表現できないけれど、ぼくには、ヴェテランのジャズ・ピアニストが弾く《枯葉》なんか聴いてニンマリしているより、100歳になってもヤング・ラスカルズの《グッド・ラヴィン》にヨガッているほうがかっこいいとする価値観がある。ホテルなんて《枯葉》みたいなものではないですか。

 まあそんなこんなで、みなさんの善意を踏みにじり、無駄に忙しい思いをさせ、それでもこうして晴れがましい舞台を整えていただいた。ぼくのいまの気持ちは「感謝」という二文字ではこぼれ落ちるものが多すぎる。そして本日「いーぐる」に来ていただいた皆様、どうもありがとうございました。会場でも同じことをくり返していると思いますが、ほんとうに、ただ60歳になったというだけのことなのです。ですから来年は61歳になります。しかし、いまのぼくは、その「当たりまえのこと」を愛おしく、ありがたく思う気持ちが強い。そして今年は、ちょっとアイタタタではあったけれど、最良の年でもあったと思う。あとは、かっこいい音楽があればもっといいかな。

【収録曲一覧】
1 Warming Up & Introduction by Bill Graham
2 Directions
3 The Mask
4 It's About That Time
5 I Fall In Love Too Easily
6 Sanctuary
7 Bitches Brew
8 Willie Nelson-The Theme
1-16 same tracks as avobe
(3 cd)

Miles Davis (tp) Steve Grossman (ss, ts) Chick Corea (elp) Keith Jarrett (org) Dave Holland (b, elb) Jack DeJohnette (ds) Airto Moreira (per)

1970/6/20 (NY)