ジャーナリストの田原総一朗氏は、朝日新聞のある社説は読み応えがあったとこう評価する。
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昨夏の、いわゆる朝日新聞問題が生じて以後、率直に言うと朝日新聞の記事がいまひとつ精彩を欠いていると思えてならなかった。
昨年8月5日の総括特集で、朝日新聞は吉田清治氏の証言が偽りであったことは認めたが、まるで朝日新聞が吉田証言の被害者のような書き方で、偽りの報道を繰り返し行って多くの読者に迷惑をかけた加害者としての責任を取らなかった。海外の報道に与えた誤った影響の責任もあり、その謝罪と反省を欠いたのは大いに問題があった。
だが、政府をウォッチして、政治権力に対して厳しい姿勢で臨むという朝日新聞のあり方自体に問題があったわけではない。朝日新聞とは異なる姿勢の媒体から、さまざまなかたちの激しい「朝日バッシング」が行われたが、こうしたバッシングには屈せず堂々と戦ってほしかった。政治権力に対する厳しい姿勢は変えないで貫いてほしかった。今の紙面を見てその姿勢が変わったとまでは思わないのだが、気のせいか鋭さ、トンガリが少々引けているように感じられたのである。
そんな中で、3月9日の朝日新聞社説「安保法制の与党協議 立ち止まって考えること」は、トンガっていて読み応えがあった。
そしてこの言葉について、いきなり「『切れ目のない』は『歯止めのない』につながりかねない」と問題点を指摘している。
たとえば「海上保安庁と自衛隊が緊密に協力し、切れ目のない態勢を敷く」ことは、「逆に言えば、小競り合いを止める間もなく事態がエスカレートし、軍事衝突に発展する危険性をはらむ」と危ぶみ、「ならば、むしろいったん切れ目を置いて、起きてしまった紛争を最小限にとどめる方策を考えるべきではないか」と言い切る。
さらに、問題の「ホルムズ海峡の機雷除去」について、「肝心な点はうやむやである。それなのに公明党は『歯止めをかけた』と言い、政府・自民党は『将来に行使可能な余地を残した』と考える」と、両党の思惑が大きく食い違い、あいまいさを残している点を鋭く指摘している。
ともかく、政府・自民党は、何とかして自衛隊の制約を外そうとはかっているのである。そして、その典型が「他国軍の後方支援をめぐる恒久法の議論」だと指摘する。
「その後方支援は『現に戦闘の行われていない地域』で活動を可能にするという。これもまたあいまいで、制約がないに等しい。戦闘が始まれば活動を休止・中断するというが、自衛隊員の危険は格段に高まる。政府・自民党の狙いは自衛隊の活動範囲を広げ、できる限り他国軍並みにすることだ。視線の先には将来の憲法改正や国防軍への衣替えがあるのだろう」
今回の社説は、具体的な事例をいくつも示して、安倍政権が集団的自衛権の行使の範囲を何としても、できるかぎり拡大しようとしている危険性を直接話法で訴えている。「切れ目のない」ではなく、いったん「切れ目」を置くことが必要であり、「立ち止まって考えよう」という主張には、きわめて説得力があった。
※週刊朝日 2015年3月27日号