麻原の実子は6人。出生順に上から4人目までが女性、下の2人が男性だ。現在の年齢は30代から20代。月刊誌「創」編集長で、家族の取材も長期的に行ってきた篠田博之氏が指摘する。

「子供たちの場合、1995年の地下鉄サリン事件時に長女、次女、三女の3人は10代だったはずで、四女とその弟たちはもっと小さかった。上の3人は、もちろん事件に教団は関わっていないと教えられたし、四女から次男の3人はまだ何もわかっていなかったでしょう」

 今月20日には三女の松本麗華氏(31)が著書『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』(講談社)を出版する。担当編集者が経緯を説明する。

「昨年、代理人を通じて打診がありました。出版を即決しなかったのは、松本氏との信頼関係を構築するまで時間をかけたことと、本人が原稿を執筆したので推敲を重ねたためです」

 執筆の動機は「麻原の子供」という事実や、オウムの引き起こした数々の事件に向き合うためだったという。「アーチャリー」として有名になったこともあり、その後の三女は“不遇”をかこっている。例えば2004年には和光大学(東京都町田市)に入学を拒否されたとして提訴。東京地裁は違法と認定した。

 手記の中には当然、家族の姿も描かれている。

「父と母の日常的な不和など興味深い記述がありますが、基本的には『よき父親』だったようです。事件当時は子供だったとはいえ、被害者感情を考慮すれば出版に議論があるかもしれません。ですが松本氏の貴重な証言や本音が吐露されているのは間違いないと思います」(同・担当編集者)

 00年には長女と長男が茨城県内で生活中、次女と三女が信者と乗り込んで長男を連れ去るという事件が発生。教団内の権力闘争が明るみに出たほか、子供たちの間でさまざまな不和が生まれた原点ともされる。

 四女は10年に『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』(松本聡香・徳間書店)を出版したほか、月刊誌「創」の取材に自殺未遂を図ったことを告白している。

 長男は昨年10月に「教祖となるかのように扱われた」とアレフを提訴。教団とは無関係だと主張している。訴状によると、アレフは、長男の誕生日に関係する催しを長男に無断で開催し、催しの中で長男の氏名を使用したという。

 同様に三女も12月に「アレフ幹部と認定されたのは不当」として国(公安調査庁)のほか、1面で報道した産経新聞とアレフを訴えた。長女、次女は沈黙を守っている。前出の篠田氏は今後の子供たちを取り巻く環境に「若干の危惧がある」と言う。

「社会が『親と子は別』と受け入れるのなら問題はありません。しかし誰もが忘れたとなると話は別です。20年が経った今、事件の風化に注意すべきでしょう」

(本誌取材班=上田耕司、牧野めぐみ、原山擁平、福田雄一/今西憲之)

週刊朝日  2015年3月27日号