
阪神・淡路大震災から20年。神戸で話題のフレンチ「アノニム」のオーナーシェフ加古拓央さん(40)も被災者の一人だが、実は、後ろめたさを感じてきた。震災を直接経験していないからだ。「痛みを想像するのに20年かかった」と話す。
加古さんは生まれも育ちも神戸市須磨区。高校卒業後、調理学校を経て、料理人の道へ進んだ。20歳の頃は神戸市中心部、トアロードにあるフランス料理店「ヘンリーのおいしい夢」で修業中だった。当時は何か食べ物屋がしたい、というざっくりした夢しか抱いていなかった。
震災当日は、友人と兵庫県北部にある東鉢スキー場へスノーボードに出かけていた。夕方まで滑り、駐車場に戻ると誘導員に「神戸が大変なことになってる」と言われた。電話を借りて自宅にかけると、
「部屋がぐちゃぐちゃになってる。水道とガスが止まったわ。交通センタービルの3階と5階がひっついた」
父の話は断片的で、いまひとつよく分からない。車でラジオも聞いたが、神戸は大丈夫と楽観して、友人の兄が住む加古川に向かった。高速道路は通行止めで、加古川には午後10時過ぎに着いた。そこで初めてテレビ映像を見た。
道路状況が悪く、友人を送ってから自宅に帰り着いたのは震災の2日後。自衛隊の戦車とすれ違うなど物々しい雰囲気を感じつつも、どこか他人事のようなフワフワした気持ちだった。
幸い、父母や姉にケガはなく、自宅は電気の復旧も早く、ガスも4日ほどで回復した。修業先の店がしばらく閉じたため、友達のつてで解体のバイトをして稼ぎ、飲みに行き、スノボに行った。めちゃくちゃ仕事はあったが、「料理をしたい」という気持ちが募った。
4月に修業先は移転して再開。だが洋食屋に衣替えした。一方で震災後に神戸のフランス料理店は減少。再開した店も今いる従業員を抱えるのが精いっぱいで、店を移るのも難しい。「どうしてもフレンチがしたい」という思いが強くなり、フランスに渡った。
「もし震災がなく、神戸に修業先があり続けていたら、のんべんだらりとやり続けていたかもしれない。選択肢が狭まったことで、より深い選択肢が見つかった」
南仏での2度の修業を経て、2000年、神戸・北野にフレンチ「レストロ・エスパス・トランキル」を開業。スパイスを駆使した創作フレンチで脚光を浴びた。人気絶頂期に店を閉じ、11年にカウンター8席だけの「アノニム」を兵庫県庁前に開業。サービス担当の妻と二人三脚。完全予約制のコース料理で人気店となっている。
街は、規模もほぼ同等にまで再生している。だが、大切な人を亡くした人にとって精神的な回復はあるのかと加古さんは思う。
「この20年間を振り返ると、楽しいこともつらいこともあった。それすら叶わず亡くなった同世代の方々の無念を想像することが大事だと思う。僕自身は神戸に居続けることで何ができるか分からない。でも、それぞれの飲食店は点であっても、あり続けることで人々に何かを灯すことができるかもしれません」
時折、慰霊と復興のモニュメントに8歳の娘と行く。戦争の記憶が自分たちの世代で薄まっているように、いずれ震災も希釈される。でも忘れたらアカン、と思っているからだ。
※週刊朝日 2015年1月30日号より抜粋