朝日新聞の「従軍慰安婦報道問題」で第三者委員会を務めたジャーナリストの田原総一朗氏はその舞台裏を明かした

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「従軍慰安婦報道問題」で朝日新聞社の第三者委員会の委員を委嘱されたとき、率直に言って、私には荷が重すぎると思いながら、結局、引き受けることにした。

 企業には表沙汰にしたくない事柄が少なからずあるはずだ。記者の一人ひとりにも、建前と、口外したくない本音があるはずだ。ところが、第三者委員会に委嘱されたのは、従軍慰安婦問題の検証が大幅に遅れ、しかも検証が不徹底に終わり、間違いを認めながら謝罪しなかったこと、そして謝罪を求める池上彰氏のコラムを掲載しないことにした社内事情など、言ってみれば表沙汰にしたくない事柄を徹底的に表沙汰にすることであった。

 朝日新聞といえば長い歴史があり、マスメディアの権威的存在だ。社員たちはいずれもエリート意識が強く、高い誇りを抱いているはずだ。そんな朝日新聞が、下手をすればズタズタに切られることになるのに、外部の人間たちに素っ裸をさらすことなどできるのか。私は朝日新聞に反感は持っていない。だが、委員を受けることは朝日新聞に対する一種の挑戦であり、朝日新聞との関係が決定的に悪くなるかもしれないと思い、ヒリヒリするような緊張感を抱いた。だから、委員を引き受けたのである。朝日新聞をどこまで裸にできるのか。これはジャーナリストとしての挑戦だととらえたのだ。

 今だから言うが、朝日新聞は私たちの求めに、驚くほどちゅうちょなく応じてくれた。吉田清治氏がらみの記事、そして、従軍慰安婦に関しての記事を書いた記者、デスク、部長、そして編集局長から社長にいたるまで、すでに朝日新聞を辞めている人物も含めて、全員が私たちのヒアリングに応じてくれた。1度では足りず、2度目のヒアリングを受けてくれた人物もいた。

 特に大きな焦点となったのは、吉田証言について総括しきれなかった1997年3月31日付の特集記事と、他の新聞や雑誌からバッシングをされるきっかけとなった2014年8月5、6日の総括特集であるが、いずれの場合も、編集部内で意見が対立していたことが明らかになった。社会部と政治部の対立、さらにはそれぞれの部内においても考え方が一致していなかったようで、いわば矛盾があらわになった。

 だが、私はこのことを朝日新聞を批判するために持ち出しているのではない。通常は社内の意見、考え方は一致していることになっている。社内の意見がバラバラでは困るというのが常識だ。だから私たちのヒアリングに対し、事前に相談などして口裏を合わせてくると予測していた。だが、実際のヒアリングでは口裏合わせが行われた形跡はなく、特に14年8月5、6日の総括特集では、いったんは謝罪の文字を入れながら、経営者である社長が、それを外すと決めたことまでが判明した。

 ヒアリングを受けた人物たちは例外なく、社としての体面を考え、格好をつけるのではなく、できる限り本音を語る、つまり裸をさらそうと懸命になっていた。それだけ、朝日新聞が置かれた状況に対する危機意識が強かったのだともいえる。

 ただ、社長が総括特集の謝罪の文言を外したときや、池上氏のコラム不掲載を決めたとき、編集部門のスタッフが体を張って議論を尽くさなかったのは残念だ。こうした体質は他社にもあるのだろうが、朝日新聞だからこそ頑張ってほしかった。

週刊朝日 2015年1月16日号

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