
「甘えん坊で、頑固なやつ」
11月19日に亡くなったロックバンド「キャロル」の元メンバー、歌手ジョニー大倉さん(享年62、本名・大倉洋一)をこう評したのは、ミッキー・カーチスさん(76)だ。
大倉さんが矢沢永吉さん(65)らと4人でキャロルを結成したのが1972年。
4人がテレビ番組に出演したのが、カーチスさんの目に留まり、デビューのきっかけとなった。
「フレッシュだった。『これはイケる』と思った。生放送中に電話して、押さえちゃった(笑)」(カーチスさん)
革ジャンにリーゼント姿、英語と日本語が交じった斬新な歌詞、カーチスさんのプロデュースと、刺激的なライブパフォーマンスも相まって、バンドは瞬く間にスターダムにのし上がった。
75年に音楽性の違いなどから解散するまで、「作曲・矢沢、作詞・大倉」は、ゴールデンコンビだった。
大倉さんは才気の半面、繊細でもあった。
人気絶頂時のツアー中に失踪、3カ月ほど行方知れずで騒動になったことも。
「真面目だから、自分を追い込んじゃうんだよな」
とカーチスさんは振り返る。
バンド解散後、大倉さんはソロ歌手とともに俳優としても活動、82年には「遠雷」で日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。「戦場のメリークリスマス」(83年)、「チ・ン・ピ・ラ」(84年)などに出演するなど、繊細な個性派として地位を確立していった。
大倉さんは昨年5月下旬、「肺がんで余命2週間」と告知されてから約1年5カ月、病と闘い続けた。
抗がん剤治療で奇跡的に回復した今年4月には、約1年ぶりのステージに立ち、「ファンキー・モンキー・ベイビー」など7曲を披露。ステージに上がり、ともに歌ったカーチスさんも「殺しても死なないやつ」とエールを送った。
しかし、10月中旬から病状が悪化、再び歌う夢はかなわなかった。
「矢沢永吉という光り輝く太陽の横で、月にならざるを得なかった男」
インタビューなどを通じて10年来の親交があるライターの吉田豪さんは大倉さんをこう表現する。
キャロル時代の版権をめぐるもめごとなど、さまざまな確執も伝えられた二人。
大倉さんは生涯、矢沢さんを意識し続けていた。
だが、吉田さんが、過去に矢沢さんが大倉さんの作詞センスを絶賛していたと伝えた瞬間のことだ。
「えっ! 矢沢君がそんなこと言ってたの?」
大倉さんは子どものように、弾んだ声を上げた。
「あの笑顔は強く心に残っています」(吉田さん)
※ 週刊朝日 2014年12月12日号より抜粋