直木賞作家の朝井リョウ氏が2009年に出版した『桐島、部活やめるってよ』。心理学者の小倉千加子氏は、「スクールカースト」という身分制の中で生きる高校生の姿が描かれているといい、この制度を受け入れ淡々と生きる姿は現実の世界と重なるという。

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 最初から学校は身分社会だった。そこに入学してきているから、それに格別の反抗を示す理由がない。みな「身の程」をわきまえて生活している。

 しかし、時々思うのだ。世の中――つまり学校――には「特権」を持つ人というのがいる。

「なんで高校のクラスって、こんなにもわかりやすく人間が階層化されるんだろう。男子のトップグループ、女子のトップグループ、あとまあそれ以外。ぱっと見て、一瞬でわかってしまう。だってそういう子達って、なんだか制服の着方から持ち物から字の形やら歩き方やら喋り方やら、全部違う気がする」

 誰が「特権」を持つかは、一瞬にして分かる。

「この判断だけは誰も間違わない。どれだけテストで間違いを連発するような馬鹿でも、この選択は誤らない」

 自分と「同じ」人たちと仲良くし続けるためには、グループ内のリーダーに逆らってはいけないのである。リーダーが「車を持ってこい」と言えば調達しなければならない。「運転しろ」と言われれば、無免許で運転しなければならない。

 拒否すれば所属グループからも転落する。転落して「ひとり」になれば今度こそ誰にも守ってもらえない。「遊び」と「いじめ」を第三者が区別することは非常に難しい。グループ内の規範は絶対的なものであり、外にいる人が簡単に介入できるものではない。

『桐島、部活やめるってよ』では、「上」の男子は、「上」の女子とつきあい、野球部のエースで4番なのに、サッカーもうまい。

 だから映画部の男子はサッカーが嫌いである。「サッカーってなんでこうも、『上』と『下』をきれいに分けてしまうスポーツなんだろう」。

週刊朝日 2013年2月8日号