『裁判長!死刑に決めてもいいすか』など裁判傍聴をもとにした著作のあるライターの北尾トロ氏。近年、警察や検察の取り調べに対し全面可視化を訴える声があるが、冤罪に対して警察もしくは検察から謝罪のない現在は難しいと指摘する。

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 3月末から4月初旬にかけて、裁判所では裁判官や職員の異動にともない、極端に開廷数が少なくなる。そこで今回は恋愛事件を離れ、3月27日に死刑及び拘置の執行停止並びに再審が決定した袴田事件から話を始めたい。

 ぼくは驚いてしまったのである。静岡地裁の村山浩昭裁判長が「証拠を捏造(ねつぞう)した疑いがある」と述べたからではない。「これ以上拘置を続けることは堪え難いほど正義に反する」と言ったからでもない。31日、静岡地検がこの決定を不服として、東京高裁に即時抗告したからだ。裁判所が認めたDNA鑑定結果は信用できない、犯人は袴田巌であると、この期に及んで言い張っているのである。根拠となった証拠が崩されても自説を曲げない理由はカンタンに推測できる。冤罪を認めたら、証拠の捏造や自白の強要を始めとする犯罪的行為の数々を認めることになるからだろう。過去、抗告して決定がひっくり返った例はなく、袴田事件も無罪になることが確実視されているが、おそらく結果はどうでもいいのだ。

 大切なのはメンツ。オレたちは冤罪なんか絶対認めないもんね。裁判所がどう言おうと犯人は袴田しかいない。たとえ法律上は無罪になったとしても、オレたちに謝る気はこれっぽっちもない。当然、反省も一切しないし誰も責任は取らない。これまでも一貫してそうしてきたし、警察・検察の大方針でもあるんで、そこんとこヨロシク……、てなもんである。

 3月25日に行われた、<取調べの可視化を求める市民集会>に、ぼくはパネリストのひとりとして参加した。そのとき、1967年に起こった布川事件で杉山卓男さんとともに誤認逮捕され、無罪を勝ち取るまでに44年を要した、冤罪被害者の桜井昌司さんと話す機会があった。桜井さんは無罪が確定した現在でも、当局の関係者に会うと「やったのはお前たちだと確信している」と言われるそうだ。

「彼らは堂々とそう言いますよ(笑)。やってない人間を無実の罪で捕まえ、半ば強制的に自白させて長期間獄中生活させたというのに、ひどいと思いませんか。これまで警察関係者から謝罪なんて一言もなかった。俺にはそれが信じられないんだよね」

 桜井さんと杉山さんの闘いについては、「ショージとタカオ」(井手洋子監督)というドキュメンタリー映画になっているので、ぜひご覧いただきたい。

 裁判では被告の反省ぶりが厳しく問われる。検察もしょっちゅう「あなたの態度からは事件を起こしたことに対する反省の気持ちがまったく感じられない」と突っ込んでいるが、組織ぐるみで反省・謝罪を禁じているのが当局なのだ。

 反省がない以上、放っておけば、この先も冤罪事件は繰り返し発生すると考えていい。それが目に見えているのに放置しておくのは、いかにもマズイ。桜井さんたちは、過酷な取り調べで無理やり引き出した自白調書と、あいまいな目撃者証言で殺人犯に仕立て上げられた。他の冤罪事件を見ても、自白調書が必要以上に重く扱われるケースがほとんどと言える。

 ここにメスを入れなければ日本の裁判は良くならない。そこで取り調べの可視化を実現させようという動きが広がり、2006年以降、取り調べの一部を録音・録画して公判で見せる試みが行われている。が、これはいかにも形式的なんだなあ。ぼくも何度か見たが、否認事件ではなく、犯行を認めている被告の自白調書を裏付ける目的で使われるケースばかりだ。しかも警察ではなく検察の取り調べ限定。内容も、妙に優しい口調の検察官が調書の内容を「間違いないですね」と確認していく、はっきり言ってどうでもいいもので、実際の取り調べはさぞかしネチネチ行うんだろうなと勘ぐりたくなるほどだった。

 これではほとんど意味がない。一部を録画するやり方では、当局に都合のいい内容のみ裁判で使われる可能性もある。すでに導入している先進諸国並みに、すべての取り調べを録音・録画すべく舵を切るべきだ。ということで、09年に法務省が勉強会を開始。13年には法制審特別部会が取りまとめた、“時代に即した新たな刑事司法制度の基本構想”に、取り調べの録音・録画制度についても、具体的検討を行うことが盛り込まれた。

 こう書くと、徐々にいい方向に向かっているように思うかもしれないが、同じくパネリストとして参加した映画監督の周防正行さん(法制審特別部会の委員でもある)によれば、当局は相変わらず、取り調べがやりにくくなるとの理由で可視化に消極的だそうだ。

「目の前にビデオカメラやマイクがあると容疑者が本当のことを喋らなくなると言うんです(笑)。そんな大げさなことをしなくても記録する方法はいくらでもあるのにね」

 周防監督は、このままでは仮に法制化されても例外事項が巧みに作られ、骨抜きの内容になりかねないと危機感を募らせていた。

 面倒くさいんだと思う。従来のやり方でもうまくいってるじゃないか。全体から見れば冤罪率は誤差の範囲内。そんなふうに考えているのかもしれない。まったく、冤罪被害者やその家族の人生をなんだと思っているのだろう。取調官も警察・検察のお偉方も責任を取らず、国は税金で刑事補償金を払ってカタをつけるだけだ。

 袴田さんが釈放されたのはたしかに喜ばしい。抗告が棄却されるのも間違いないだろう。でも、謝罪も反省もしない組織は、同じことを繰り返す。それは大事件に限っての話ではない。冤罪は痴漢や詐欺など、身近な事件でも同様に起こり得る。誤認逮捕されて強引な自白調書を取られる可能性は、ぼくにも、読者の方々にも常にあるのだ。

週刊朝日  2014年4月18日号