震災から3年。三陸の沿岸部には、次々と巨大防潮堤が造られている。ノンフィクション作家の吉岡忍氏がこれらについて、「津波は打ち砕けない」と題し、その意味を問うている。
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防潮堤とは何か? その正体を知りたいと思ったら、岩手県釜石市唐丹(とうに)町の小白浜に行ってみることをお勧めします。
唐丹湾を見おろす高台に威風堂々、「浪を砕き郷を護る」と大書した石碑があって、ひょいとその下を覗くと、巨大な防潮堤がひっくり返っている(いくら何でも恥さらしなので、もう撤去されたでしょうが)。
この防潮堤はそんじょそこらの防潮堤とちがい、1990年に完成した最新式のものでした。トンネルのような道路も組み込まれていて、高さは12.5メートルもあった。国や県が総工費10億4千万円も投じた自慢の事業だったらしく、右の石碑を揮毫(きごう)したのも当時の県知事です。
これを見たとき、(不謹慎ながら)私は噴き出してしまった。な~んだ、防潮堤とは、津波が来ない間だけ、「どうだ、オレってすごいだろう。さあ、かかってこい」と威張っているガキ大将みたいなものじゃないか。
防潮堤といえば、宮古市田老地区の「万里の長城」が有名です。昭和三陸大津波のあと、町の人たちは高さ10メートル、長さ2キロ近い巨大な防潮堤を築いた。大方のメディアも専門家も、今度の大津波はそれをも乗り越えるほど巨大だった、とひと言で片付けますが、これには私は異論があります。
建設当時の記録には、浪を砕く、という発想がまったくありません。津波は打ち砕けない、人間ができるのはせいぜい受け流して時間を作り、その間に逃げることだけだ、と当時の人たちは考えた。だから、巨大な防潮堤も津波を町の両側に誘導するように、海を正面に見て「へ」の字形に造られた。町の背後の山腹までまっすぐつづく避難路も整備された。
なのに、3年前、田老地区でも大きな被害を出してしまったのはどうしてなのか。
60年のチリ地震津波のあと、政府と各県は高度経済成長を追い風に、そこらじゅうに防潮堤を建設しました。そのついでに田老の防潮堤の外側に、もうひとつの防潮堤を築いた。こちらは海に向かって両腕を広げ、「さあ、かかってこい」と言わんばかりの逆「へ」の字形。今度の大津波であっさりコケたのは、このガキ大将の方の防潮堤でした。
悪いことに、ガキ大将が虚勢を張っていたせいで、一部の町の人たちは安心してしまい、新旧二つの防潮堤のあいだに住宅を建てたりなどしていた。つまり、新防潮堤が被害を大きくしてしまったのです。
砕く、のではなく、受け流すこと。ここには人間と自然の関係をどう捉えるか、という思想にまで及ぶ深い問題が横たわっています。
※週刊朝日 2014年3月14日号