販売台数で「世界一」にのぼりつめたトヨタ自動車。今年度は前人未到の1千万台に挑む。その基礎を固めた「トヨタ中興の祖」である最高顧問の豊田英二(とよだえいじ)さんが9月17日、心不全で亡くなった。5日前に100歳を迎えたばかりだった。
英二さんにとっては、いとこの孫が章男社長。自身の6代後の社長だ。最期までトヨタのありかたに気を配っていた。経営陣は、重要な判断を下す際にはトヨタ記念病院の最上階にある病室まで出向いた。米ゼネラル・モーターズ(GM)との合弁会社「NUMMI(ヌーミー)」が2010年で生産を終了すると決めるにあたっても、章男社長が報告した。このとき、同社設立の覚書にサインした万年筆を章男社長に見せたそうだ。
英二さんには、トヨタの社長や会長を歴任した経営者と、東京帝国大学で機械工学を学んだ技術者という二つの顔がある。
NUMMIは経営者としての功績のひとつ。日米貿易摩擦による対米輸出規制を乗り越える戦略だ。当時世界一のGMを「目標とする」と語り、本格的な海外生産の道を開いた。
もうひとつは、終戦直後に陥った経営危機の打開策として自動車工業、自動車販売と2社に分かれていたトヨタの合併だ。「トヨタの戦後は終わった」と高らかに宣言した。
技術者としての功績のひとつは純国産の高級車クラウンを開発したことだ。初代の発売は1955年。モーニングを着て、完成第1号車のハンドルを握った。直後にはクラウン・デラックスの最終試作車ができあがった。工場見学に来ていた皇太子さま(当時)が試乗し、その助手席に座った。日本経済新聞に連載した「私の履歴書」にこう書いている。
〈皇太子殿下の運転の腕前はかなりのものだった。ただ、けっこうスピードを出されるので、そばにいてひやひやし通しだった〉
社業で公の場に姿を見せたのも、99年の新型クラウンの発表会が最後だった。
※週刊朝日 2013年10月4日号